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「お父さん、もうおしまいなの?」能登半島地震で家族と生き埋めになった男性の証言

慌てる子どもたちに余裕を見せるため、あえて記念撮影

記念写真

生き埋めの状態で撮影した記念写真

 生き埋めになった相川さんだが、不思議と楽観的に捉えていたそうだ。とはいえ、出口までは30メートルぐらいの距離がある。  子どもたちはパニック状態で「お父さん、もうおしまいなの?」と悲痛な声を出しているが、「大丈夫、大丈夫」と励ました。子どもたちは興奮状態にあるので、落ち着かせようと思った相川さんは、余裕を見せるために、あえて“記念撮影”をすることにした。 「どうせ出られるんだから、このような状態になった記念写真を撮ろうと提案しました。ただ、地面から天井まで50センチぐらいしかなく、低すぎてポーズがとれなかったですね……」  せっかく母親に買ってあげたiPadが紛失したので探してみたが、暗くてどこにいったのかわからない。子どもたちに余裕を見せつつも、現実としてはあまり悠長に構えているわけにはいかない。  再び大地震が襲ってきたら、完全に身動きがとれなくなる可能性が大きい。一刻も早く脱出したいと思った。  小さなからだで移動がしやすい子どもたちに先頭を行かせて、スマホで照らしてもらった。まっすぐに進むことはできないが、わずかな通り道を見つけて20分後、ようやく2階の屋根から脱出に成功した。 「閉じ込められていたけど、“絶対に脱出できる”と信じていました。もともと性格が前向きなのが良かったかもしれませんね。脱出できたときは子どもたちと抱き合って喜びました」

避難所での生活は…

   物置から家に戻った4人だが、津波警報が発令されている。地元の消防団に人が声掛けしてくれて、とりあえず避難することにした。山の上まで行って集落の10人ぐらいと情報を共有するが、みんな落ち着かない様子だった。  この日は、子どもたちが「家は怖い」と言うので、歩いて10分ぐらいの避難所に泊まることにしたという。田舎なので避難所は知っている顔ばかりだ。 「なんだか避難所は同窓会みたいになっていましたね。親同士でもお互いによく知っているので」  断水しているので用水路の水を汲んでトイレに使った。町内会のコミュニティが機能していたようで、消防団の人たちも動いてくれたおかげで落ち着いていった。  母親は頭を打っていたが、その場に居合わせた看護師にケガした箇所を見てもらうと「横になっていた方がいい」と言う。認知症の父親もいたので、相川さん家族は個室にしてもらえたが、父親のオムツも足りなくなってくるなど、不安はつきない。  相川さんは床で寝たが、頭が興奮して、なかなか眠りにつくことができなかったという。子どもたちも恐怖でくっつかないと寝られない状態で、「緊急地震速報の音が怖いから止めてくれ」と言うので、少しでも緊張を和らげるためにそうしたそうだ。
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