更新日:2024年03月08日 16:57
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「確かに愛してもいた」虐待を受け続けた女性作家が、“母を捨てる”まで

“母から愛される弟”を憎むようになり…

 頼れず、いても不在に等しい父親と、思い通りの人生を歩めない鬱憤の矛先を娘に向ける母親。そしてもう一人、菅野氏にとっては煙たい存在がいた。 「弟は私と違い、生まれながらにして母から愛される存在でした。何をしなくても、男の子だというだけで、母が愛情を傾けてくれるんです」  来る日も虐待に怯え、されど母親を愛しては拒絶される菅野氏。不可解で煩わしい弟への憎しみが募り、こんな行動に出たこともある。 「母が買い物にでかけたある日、ゆりかごの中ですやすやと寝息を立てる弟を見ていたら、自然と首を絞めていました。みるみるうちに弟は顔が真っ赤になり、けたたましい泣き声をあげたのです。それを聞いて近所の人が来てくれたから私は殺人犯にならなかったものの、あのまま絞め続けていたらどうなっていたのだろうと思うこともあります」

母とのつながりを証明してくれた「作文」

 愛情の欠落が幼い菅野氏をとことんまで追い詰めた。だが小学生になると、起死回生のチャンスが訪れる。当時、精神的に限界に来ていた母親の希望で、これまで住んでいた福島県から、母親の実家がある宮崎県へと一家は移住した。移り住んだ地域は教育レベルが高く、社会的なステータスのある人に囲まれる生活だったという。 「ある作文コンクールに、ほとんど母の言った通りの文章で応募しました。すると大賞を受賞し、全校生徒の前で表彰されました。母はもともと国語教師で作文指導に自信を持っていました。くわえて、自らの文才にもひとかどのものを感じていた節があります。作文のコツを掴んでから、私は母の助言なしに数々のコンクールで優秀な成績を修め、その度に『私に似て久美子には文才がある』と喜びました。作文に取り組めば、母は私に注目してくれるんです。私は、母が私を見てくれていることに舞い上がりました。ちなみに弟は父に似たのか、作文だけはてんでダメでした。そのことが余計に、私と母だけのつながりを証明するようで、嬉しかったですね」  小学生向けの作文コンクールを総なめにし、ついには新聞の投書欄などにも菅野氏は登場した。氏は毎朝、朝刊に自分の文章が掲載されているかどうかをチェックする稀有な小学生だったという。母親の関心を惹きたい――そんな純粋で健気な気持ちからくる行動だった。
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浸水した地域を見に行き「ワクワクした」思い出
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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