更新日:2024年03月08日 16:57
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「確かに愛してもいた」虐待を受け続けた女性作家が、“母を捨てる”まで

 母親からの愛情を渇望し、それでも得られないとき、人は何を犠牲にするのか。2024年2月に出版されたばかりの『母を捨てる』(プレジデント社)は、これまでノンフィクション作家、エッセイスト、漫画原作者などさまざまなフィールドで活躍してきた菅野久美子氏が世に放つ“母への絶縁状”であり、壮絶な半生を克明に記した衝撃作だ。菅野氏への取材を通し、求めても報われない幼少期がその後の人生に与えた影響を考える。
首を傾ける女児

画像はイメージです

密室に連れていかれて、首を…

一番古い虐待と呼べるものの記憶は、幼稚園くらいのときです。他のお母さんたちと楽しそうに話していたかと思えば、家に帰るなり急に母の顔が鬼のような形相に変わりました。父が仕事部屋にしていた密室へ連れて行かれ、毛布越しに首を締められるのです。苦しいので抵抗はするのですが、大人の前では幼稚園生の膂力などほとんど無です。視界は真っ暗、締め切られた部屋の毛布のなかの出来事なので、虐待を知る人はいません。その1回限りではなく、何度もそうしたことがありました。幼稚園児の私は、母の様子を見ながら『今日はやられる日かも』とビクビクする生活をしていました」  菅野氏は度々、毛布の向こうの母親が「あんたなんか産まなきゃよかった」と口にするのを聞いたという。  冒頭で「壮絶な半生」と書いた。確かに壮絶には違いないものの、事実を忠実に描いているのに、いやだからこそ、あまりにシュールでおかしみさえ込み上げてくる場面もある。 「4歳くらいのときだったと思いますが、ヤモリが敵に攻撃されたときに“死んだふり”で乗り切ることを図鑑で知り、母の虐待が起きたときに実践してみたことがあります。がくんと力の抜けた私に、母は最初、かなり焦っていたようでした。今考えるとおかしな絵ですが、当時の私にとっては生き抜くための知恵だったんです。ただ、もちろん“死んだふり”作戦が奏功したのは最初だけで、そう何度も通じるわけではないのですが」

「自分のキャリアを諦めた」母が抱える闇

菅野久美子氏

菅野久美子氏

 なぜ菅野氏の母親は虐待をするのか。その答えはようとして知れないが、こんな推測は成り立つ。 「当時、私たち家族は父の実家がある福島県に住んでいました。父も母も教員でしたが、母は結婚を機に仕事を辞め、誰も知り合いのいない父の地元に住むことになったのです。おそらく、母のなかには、家族のために自分のキャリアを諦めたというわだかまりがあったのだと思います。美人で、若いころには数名の男性から結婚を申し込まれたという母が、飛び抜けた経済力があるわけでもない地方公務員の父と一緒になったのは、父が当時にしては珍しい大学院卒だったこともあるかもしれません。ただ当の父は、家庭に対してまったく関心がなく、教員としての出世にすべてを捧げるような人でした。いつも自分の仕事部屋にこもり、家族にどんな問題が降りかかろうとも我関せずを貫いてきた人です」
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“母から愛される弟”を憎むようになり…
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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母を捨てる 母を捨てる

毒母との38年の愛憎を描いた
壮絶ノンフィクション

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