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米プロスポーツ界で表面化した「いじめ問題」。自由でおおらかは勘違い?

NFL,ジョナサン・マーティン,インコグニート

ジョナサン・マーティンとインコグニートの問題を伝えるESPNとUSA TODAY

 日本から米国に渡り活躍するアスリートが増えている昨今。米国にいる日本人選手がのびのびとプレーし活躍する姿を見て「アメリカは日本と違って上下関係がなく、自由な雰囲気があっていい」と感じる人は多いだろう。ところが、それは実は大きな誤解だったようだ。  プロフットボールNFLで今、新人いじめスキャンダルが勃発し、それがあらゆるスポーツ界に飛び火していじめ問題が米国で大きな議論を呼んでいるのだ。  ことの発端は、NHLマイアミ・ドルフィンズ2年目の24歳OT(オフェンシブタックル)ジョナサン・マーティンがある日突然、チームから逃げ出したことだった。その日、マーティンがランチを取るためチームの食堂に行くと、先輩達がすでに食事をしており「こっちに来いよ」と呼ばれたため、食事のトレーを持って先輩達が座っているテーブルに行った。ところが、マーティンが着席すると、先輩達が一斉に席を立って行ってしまったという。マーティンはチームを飛び出し「精神的苦痛を受けた」として病院に駆け込み、迎えに来た両親と一緒に実家に帰ってしまい、以後チームに戻っていない。  なぜそんなことで? と思いたくなるような一見、子供じみたいたずらだが、マーティンにとってはそれは単なるきっかけに過ぎず、実はチーム内で執拗ないじめにあっていた。それが積りに積って一気に爆発してしまったらしいのだ。いじめの首謀者である9年目30歳のG(ガード)リッチー・インコグニートは、マーティンに人種差別用語満載の留守番メッセージやメールをマーティンに送りつけたり「殺すぞ」と脅すなど数々のいじめをしていたことが明らかになり、チームから出場停止処分を受けることとなった。  このスキャンダルをきっかけに米国スポーツ界でいじめ問題が大きな議論を呼んでいるのだが、そこから浮かび上がってきたのは米国も先輩・後輩の上下関係は絶対的であり、先輩が後輩に理不尽ないじめをするのは当然のこととして慣習化しているという事実だった。  たとえばNFLの場合、後輩が先輩の防具や荷物を運ぶのは当たり前。ゴールポストに縛り付けられるというようないたずらをされたり、常日頃からきつい言葉でなじられるのも日常茶飯事で、マーティンの場合は先輩から「ビッグ・ウィアード(でかくて変なヤツ)」というあだ名を付けられていた。新人選手がiPadのような人気の新製品を持っていると先輩に奪われるし、チームメイトと一緒に食事や旅行に行くと高額な勘定を新人に押しつけられたりもする。マーティンはドルフィンズのオフェンシブラインのメンバーでラスベガスの旅行をすることになったとき、自身は旅行の参加を断ったにもかかわらず旅費1万5000ドル(約150万円)を払わされそうになったこともあったという。  こうした先輩と後輩の主従関係のような現象は、プロバスケットボールNBAやメジャーリーグベースボールMLB、プロアイスホッケーNHLなどでも見られる。たとえばMLBでは年に1度、本拠地から遠征先に向かうとき新人選手に恥ずかしい仮装をさせ、バスや飛行機に乗りホテルに到着するまでのそのままの格好をさせるというお遊びが恒例になっている。また投手陣の間では、先輩が新人に子供用のリュックを持たせて荷物を運ばせるということをさせるのが多くのチームで恒例になっており、NBAでも新人に子供用リュックを持たせるということが慣例になっているチームがある。NHLでは「ルーキー・ディナー」といって、大勢で高級レストランなどに夕食に出かけ、わざと高価な食事を頼んで勘定を新人に押しつけ困らせて楽しむ新人への洗礼儀式があるという。中には400万円程度の年俸しかもらっていない新人に一晩で300万円の食事をして勘定を押しつけた例もあったようだ。  スポーツ界でいじめ問題が議論されるようになって、MLBでも仮装や子供用リュックだけでなく他にも様々な〝新人かわいがり〟が行われていることがわかってきた。レッドソックスなどで活躍し2010年までメジャーでプレーしたゲーブ・キャプラー元外野手によると、新人選手が他の選手に抑えつけられている間にベビーパウダーと歯磨きペーストを混ぜたものを頭からかけられたり「スリーマン・リフト」と呼ばれる床に仰向けになった男3人を持ち上げる罰ゲームのようなことをやらされたりするという。  このスリーマン・リフトは、3人を持ち上げている最中に実は別のいたずらをされるというオチのある遊びなのだが、城島健司元捕手(2012年に阪神で現役引退)が2006年にマリナーズに入団した年のキャンプのときに先輩達からやらされたことが当時記事になった。スリーマン・リフトをやれと言われ外に出てやろうとしたとき、チームメイトからキッチンにあったマヨネーズ、ケチャップ、マスタード、シロップ、オレンジジュース、炭酸飲料などあらゆるものを一斉に頭から浴びせられたという。  この他、遠征に出かけるときに女装するよう命じられて拒否した新人はスーツをびしょ濡れにされたり、遠征の飛行機の中では新人が先輩選手にお酒を運ばされたりする。飛行機が着陸しバスに乗り換えてからは、先輩選手が後部座席に座り、新人達にマイクを持たせて余興をやるよう命じることも多い。もちろん、思いきり道化を演じ、先輩を楽しませることが要求される。上下関係がなく自由な国だと思われていたアメリカのスポーツ界には、こうして様々な「かわいがり行為」が存在するのだ。  とはいえ、こうした行為は新人達自身も楽しんでやっているケースも多く、これまで問題視されることはほとんどなかった。むしろ、プロスポーツの男社会では、先輩の理不尽な仕打ちに耐えることが当たり前で、男らしい振る舞いであるという考え方がある。インコグニートとマーティンのいじめスキャンダルが発覚したときは、2人は兄弟のように仲が良かったのになぜこんなことになったのかと首をかしげるチームメイトもいたし、いじめた側のインコグニートを擁護する声があったり、被害者のはずのマーティンを非難するNFL関係者もいた。  だが一方で、この騒ぎが起こってから大学スポーツ界などから「実は自分もいじめを受けていた」という告発が相次ぐなど騒ぎがスポーツ界全体に飛び火し、MLBやNBAなどのプロスポーツ界も敏感な反応をみせている。MLBのバド・セリグ・コミッショナーは「米野球界にいじめ問題はなく、我々の選手を誇りに思う」と声明を出し、NHLではGM会議の場でいじめ問題を協議し、NBAでは各チームに問題を起こすことがないようにという内容の通達を文書で出した。NBAミネソタ・ティンバーウルブズのある新人選手は先輩から子供用リュックを持つよう仕向けられていたため、チームのフロント幹部が慌ててリュックを持つのをやめるように指導したという。プロスポーツ界やその周辺ではいじめとはどういう行為なのか、いじめとジョークの境界線をどう引くのかということが真剣に議論されており、中には「ファンの野次や選手に対するメディアの批判記事の方がいじめではないか」という極端な意見まで出ている。MLBドジャースのJ・P・ハウエル投手が、ロサンゼルス・タイムズのインタビューで「実は新人のヤシエル・プイグ外野手がクラブハウスでいじめられていたのを見た」と発言したのだが、数日後には慌てて「クラブハウスでいじめられていたなんて言っていない」と否定する騒動もあった。これまで話題にもならなかった「いじめ問題」が突如浮上し、米スポーツ界も混乱しているようだ。 <取材・文/水次祥子>
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