二刀流の大谷翔平「岩手時代はスピードガンがなかったので、どれぐらい速いかわからなかった」
8/26に発売された週刊SPA!ではインタビュー取材を敢行、『大谷翔平の二刀流論』として特集している。弱冠20歳にして恐るべき身体能力と野球センスを兼ね備えた日本球界の至宝に迫る白熱の60分。ここでは、その一部を紹介しよう。
◆高校球児からプロへ。そして二刀流の挑戦
――高校時代の話から伺いたいと思います。花巻東高校へ進学を決めた理由は「菊池雄星投手(西武ライオンズ)に憧れたから」と聞きます。菊池選手のどんなところに憧れたのでしょうか?
大谷:当時の岩手県内には、ドラフトで1位指名を受けてプロ球団で投げるような選手が菊池選手のほかにはいませんでした。プロに一番近い人がいるということに憧れていましたし、自分もそういう選手のいる場所で野球をやりたいと思ったからですね。
――実際には、花巻東高校での在学期間は被っていませんでした。
大谷:そうですね。一緒にはプレーしていません。菊池さんがオフに帰ってきたときに、高校に来てくれたんです。そのときに挨拶させていただいたぐらいですね。
――プロ一年目から大活躍されていますが、球の速さや打撃など、ご自身の野球選手としての可能性に気づき始めたのはいつ頃ですか。
大谷:遠投とかですね。「あ、けっこう投げられるな」ってくらいに感じてはいました。でも、全国大会などにも出たことがなかったので、ほかにどれくらい強い選手がいるのかわからなかったんですよ。感覚としては「岩手だとちょっとできるのかな」という程度でした。
――自信はありましたか。
大谷:自信はありましたけど、全国に行ったら大したことないんだろうなと思っていました。スピードガンもなかったですし、自分の球がどのくらい速いのか、具体的な数字で見たことがなかったので。
――今や大谷選手の代名詞となった二刀流ですが、入団交渉の席上、二刀流で育てたいと言われたときはどんなお気持ちでしたか。
大谷:最初、僕はメジャーに行くつもりだったので、二刀流で……と言われても、あんまり気にしていませんでした。ただ、何回かお会いして、起用法について聞くうちに、初めて二刀流ということを意識するようになりましたね。バッティングとピッチングの両立は高校時代から当たり前のようにやっていましたから。
――セ・リーグに行けば打席に立つこともできました。
大谷:それは特に意識はしませんでした。ファイターズだからこそ、二刀流の提示があったと思いますし、ドラフトの指名はほかにありませんでしたから。
――プロとして2年目のシーズンを迎えました。「自分はプロでやっていけるな」と思った瞬間はありましたか。
大谷:今はなんとかプレーできていますが、2年しかやっていないので、まだわからないですね。やっぱりプロは何年も続けて結果を出すからスゴいのであって、来年通用するという保証もありません。
――プロ野球界で二刀流のままプレーする選手は珍しいこと。参考にできる選手もなかなかいませんよね。
大谷:特定の選手を参考にはしているわけではないですが、その分、いろんな選手を幅広く見るようにしています。投手でいったら、ファイターズの先輩にあたるダルビッシュさんもすごく参考にしている選手の1人です。
インタビューはまだまだ続き、「セットポジションに隠された秘密」「プロに入って凄いと思った選手」「ジョージア魂賞への思い」「田中将大選手との思い出」について本人自ら熱く語っている。
また、「二刀流の秘密を探る!」というコーナーでは、栗山監督、大魔神佐々木、ミスター2塁打立浪がこの球界の至宝の可能性を多角的に分析。本人が目標としている「163km」は果たして本当に出せるのか、プロならではの着眼点から繰り出された「大谷翔平解体新書」は必読に値する。 <取材・文・撮影/週刊SPA!編集部>
●北海道日本ハムファイターズ公式サイト http://www.fighters.co.jp
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今、日本プロ野球界で最も注目を集める男、大谷翔平。賛否両論が吹き荒れるなか、二刀流選手として入団し、投打にわたって活躍を続ける怪物に、
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