震災から4年、仙台の女子プロレスが誓う復興への決意
―[フミ斎藤のプロレス講座]―
東日本大震災から4年を迎えた3月11日、宮城・仙台の女子プロレス団体センダイガールズプロレスリング(里村明衣子代表)が東京・新宿FACEで特別興行『あの日を忘れない~未来へ~』を開催した。
センダイガールズプロレスリング(以下センダイガールズ)は東北を本拠地とするただひとつの女子プロレス団体で、東北6県をホームリングとする“男子プロレス”みちのくプロレスのスピンオフ団体として2005年(平成17年)に発足した。
震災直後は興行活動を自粛していたが、2011年(平成23年)7月に活動を再開。同年8月、里村明衣子が新崎人生・前社長(みちのくプロレス)から代表を引き継いだ。
死者1万5891人、行方不明者2584人、いまも避難生活を送る約22万9000人の被災者に対して、プロレスとプロレスファンはいったいなにができるのか――。
所属選手4人(里村、DASH・チサコ、仙台幸子、宮城倫子)のちいさなちいさな団体センダイガールズは、じっさいに東北に住んでいる“当事者”として約4年ぶりに東京のオーディエンスのまえに戻ってきた。
「やっと、やっと(で4年)ですが、でも、まだまだこれからです」
「日本じゅうが一変した日ではありましたけれど、みなさんに支えられ、みなさんのおかげで、きょうここに立っていられると思います」
「選手たちにできることだったら、(ボランティア活動は)なんでもします。気持ちだけは負けないと思っています」
里村のコメントは力強かった。場内のビデオスクリーンには里村をリーダーとするセンダイガールズのメンバーと宮城県石巻市に住むお寿司屋さんの小野さん夫妻の交流を収めたビデオ映像が映し出された。ビデオカメラに向かって語りかけるのは里村自身だった。
「仙台から石巻まではクルマで約1時間。新しい家が建っています」
「このあたりはいちばん被害を受けたところ。陸に船が乗りあげた光景が目に焼きついています。新しい建物もポツポツ建っていますが、まだまだです。(復興の)第一歩に立っている人は少ないです」
「ここは3000人を超す犠牲者を出した場所。腰のあたりまで津波が来たところです」
小野さん夫婦はことし、4年ぶりにお寿司屋さんの営業を再開し、現在は津波で自宅が流された場所に新しい家を建築中だ。津波の被害でむき出しの鉄骨だけになったビルの残骸をその場所に残しておくべきかどうかについては夫婦でも意見が分かれている。
「残す残さないの議論がある。オレは残したい派」(小野さん)
「いまだに忘れられないひどい状態。記憶から消したい。あれがあると必ず夢をみる。でも、自分たちが落ち着ける場所だから、戻ってきたい」(小野さん夫人)
「わたしたちが東京で伝えたいと思います」(里村)
3・11『あの日を忘れない~未来へ~』新宿FACE大会はシングルマッチ2試合、タッグマッチ3試合の全5試合をラインナップ。スターダム、LLPW-X、ワールド女子プロレスディアナなど他団体からのゲスト出場、フリー選手らがカード編成をかためた。
里村はスペシャル・シングルマッチ20分1本勝負で木村響子と対戦。ほんとうだったら両国国技館や日本武道館のビッグイベントで実現してもおかしくないグレードの“一騎打ち”は時間切れの引き分けに終わった。
いまから4年まえ、沖縄プロレス所属選手として沖縄に在住していた木村の自宅には仙台から遠征してきた仙台幸子が居候していたという。木村は沖縄から東北をにらんでいた。
試合終了後、里村がマイクを手に「仙台幸子が沖縄の木村さんの家に泊まらせていただき、すべて面倒をみてもらいました」と語ると、木村は「それでも、立ち上がったのはサチコさんであり、里村さんですから!」とアリーナ全体に響く“地声”でこれに応えた。
里村と木村は《絆》という単語をいちども使わずに《絆》のエールを交換した。そして、“3月11日”という特別な日にそれほど大きくない新宿FACEを超満員にした東京の観客は、里村と木村の短いやりとりを自分たちへのメッセージ――あの日を忘れない~未来へ~――ととらえたのだった。
文責/斎藤文彦 イラスト/おはつ
※「フミ斎藤のプロレス講座」第30回
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