香山リカ、「アイヌ否定問題」で小林よしのり氏に反論 vol.3
⇒【vol.2】はコチラ
さて、本来であればせっかく場を借りたので、ここでまとめて小林氏、時浦氏からの膨大な批判にこたえなければならないのだが、何度も言うようにその量がハンパではないのだ。ということで、ここでまず基本的ないくつかの批判に、申し訳ないが「一問一答方式」で答えを述べることをお許し願いたい。そしてもし『日刊SPA!』の読者から「これはオモシロイ! もっとやって」という意見があれば、続きを考えてみたい(笑)。
Q.「自分でアイヌ民族と思ったら、アイヌ民族」、これでは誰でもアイヌ民族になれるのではないか?(1月15日)
A.小林氏やアイヌ否定論者たちは、その人が「アイヌ民族であること」が本人の自己意識から出発する、という点を問題視している。先の金子市議もツイッターで「アイヌは自己申告制ですからね」「私も、選挙に落ちたら○○○になろうかな(ツイッターでは伏字だったが前後のツイートから『アイヌになろうかな』だと推測される)」などと発言。ツイッターでは「アイヌ協会に電話して“私、アイヌだと思うのですが”と言ったら誰でもアイヌになれる」などのデマが拡散された。
対談でも話したが、アイヌに限らず、現在、民族に関しては「主観的アプローチ(本人の自認)」と「客観的アプローチ(共同体の承認や戸籍など)」の双方を重んじる、というのが世界的な潮流。アイヌでもまず大切なのは、本人の自己意識。しかし、アイヌ協会の会員になる(これは「アイヌ民族」と必ずしもイコールではない。協会に登録していないアイヌ民族も大勢いる)にも、本人の自認だけではなく、定款に基づいた入会申込書に対して客観的審査を経た上で決定される。
Q.アイヌ系日本人でいいではないか?(1月16日)
A.小林氏や否定論者は、「アイヌ民族」の存在を認めることが日本を分断させる動きにつながるのではないか、と懸念しているようだ。しかし、対談でも触れたように国連でのスピーチなどでも、先住民族と承認を得ることが日本からの独立、日本の分断といった動きにつながることはない、と当事者が繰り返し主張している。アイヌ民族の歴史やアイヌ語の研究をしている学者にしても同様で、なぜそのウラに謀略めいたにおいをかぎ取ろうとするのだろう。そんなに陰謀が好きなのか、陰謀がないと納得できないのか、とさえ見えてしまう。
もちろん、日本にいるアイヌは日本国民にほかならない。「日本人でかつアイヌ民族、かつ北海道の先住民族」でいいではないか? 日本は単一民族でなければ国家としての統一性が保てない、という発想のほうが日本への不信感をあらわしているのではないだろうか。
Q.「民族はいない」という意見を「言論封殺」するのは悪意に満ちた手口である(1月15日)
A.繰り返すが、民族を「歴史的に構成された人間の堅固な共同体」と真正性や客観性を重んじるのはスターリンの民族の定義であり(注・小林氏を「スターリン主義者」と言いたいわけではない)、それは現在の学問的潮流では古い考えと見られている。小林氏が言いたいのは、そういった定義に基づく「民族はいない」という主張なのだろう。だとしたら、「私は古い定義を支持したい」と断った上で発言すべき。
アイヌの中にはアイヌであることに誇りを持っている人もいれば、いまだに差別を怖れてそのことを隠して生きる人もいる。いずれにしても、「アイヌであること」に対して非常にデリケートで複雑な思いを持ちながらいまも生きる人がいるのに、「私はコタンに住んでシャケを獲ってるアイヌなんて見たことないから、アイヌなんていない」などというのはあまりにも乱暴だ。昨年からの騒動やツイッターでの心ない言葉に傷つき、メンタルヘルス不調を来したアイヌがいるとも聞いている。
もちろんどんな古い説や珍説を信じようと本人の自由だが、とくに影響力のある小林氏に不用意な発言を慎んで、と頼むのが「言論封殺」とは言えないはず。
⇒【vol.4】に続く
文/香山リカ
この特集の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ