開通30年の瀬戸大橋。“夢の懸け橋”の影を、与島PAにのこる廃墟に見た
―[道路交通ジャーナリスト清水草一]―
瀬戸大橋が開通して30年。かつての夢の架け橋もすっかり当たり前のものになり、あまり話題に上らなくなった。
実はこの瀬戸大橋、他の本四架橋2ルートとともに、順調に交通量が増えている。開通当初の88年度日平均交通量は、わずか1万823台だったが、昨年度は2万2533台。約2倍になった。
理由はズバリ、料金の値下げだ。開通当初、6300円(早島‐坂出間・普通車)だった料金は、税金の投入により段階的に値下げされ、現在はETC車で平日2270円、休日1950円(同)。当初の約3分の1に。このあたり、当初の4000円から800円にまで値下げされ、交通量が約4.5倍になった東京湾アクアラインと同じパターンだ。
私は今回、児島から坂出北まで軽自動車で利用したため、料金はたったの1380円(平日)だった。これくらいなら、気軽に本四間を移動できる。
かつての高嶺の橋も、現在は地域の役に立つ地に足のついた存在になり、めでたしめでたしではあるが、光があれば影がある。瀬戸大橋唯一のPAがある与島には、その影の部分が凝縮されている。
与島はもともと瀬戸内海の離島。石材業等で生計を立てていたが、30年前、そこに瀬戸大橋がドーンと架かり、PAも建設された。瀬戸大橋の建設に伴う用地買収で、石材業の多くが廃業。替わって観光業を主産業に据えようと、地元や自治体は夢を描いたのである。
与島には一般利用できるインターはないが、定期バスでアクセスは可能。与島PAの第2駐車場からは、徒歩でPA外に出ることもできる。与島PAには、第1と第2、ふたつの駐車場があるが、私がこれまで訪れた限り、第1駐車場も常にガラガラで、遠く離れた第2駐車場へ行く必要性はまったくなかった。
しかし今回は、与島PAの第2駐車場に初めて足を伸ばしてみた。瀬戸大橋の上から、何か廃墟らしきものが見えたからだ。
第2駐車場はまったく閑散としていた。止まっているのは、道路維持関係の車両が数台、その他は釣り人? のクルマが何台かのみ。広大な駐車場は、柵で約半分が閉鎖されていた。駐車場の最奥にクルマを止め、外に出てみると、まず目に入ったのは「オアシスパーク瀬戸大橋」と看板のかかった門だった。ただし残っているのは門と塀だけで、内部は太陽光発電施設になっていた。
さらに北へ少し歩くと、別の元廃墟があり、こちらは産廃置き場に。その向こうには、ヤシの木の並ぶ立派な港(与島塩浜港)があり、釣り人がひとり釣り糸を垂れていた。ここには確かに何らかのレジャー施設があったらしい。いったいどんな? そしていつ閉鎖されたのか?
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1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高速の謎』『高速道路の謎』などの著作で道路交通ジャーナリストとしても活動中
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