<文/ユウキロック>
「『M−1グランプリ』の優勝者はどのように決められているのか?」。皆さんご存知だと思うが、いろいろなものを省いて、簡単に単純にざっくりと書いてみる。
M-1審査員批判はなぜ起きるのか
「『M−1グランプリ』の優勝者は7人の人間が決めている。たったの7人。だから、この7人にウケさえすればいいのだ。逆にこの7人にスベったら、決して優勝することはできない」
ただ、考えてみれば
7人にスベっただけなのだ。大勢の観客にウケているのなら問題ない。だから出場者は、たかだか7人にスベったぐらい、別に気にしなくていい……と簡単に切って捨てることができるはずがない。それが「M-1グランプリ」なのだ。
なぜなら優勝した直後から仕事のオファーが殺到する。テレビ番組は、「お披露目」として一通り呼ばれる。その中で結果を残せば、二巡目が始まり、レギュラー番組でも決まれば、「テレビスター」の仲間入り。「地位」と「名誉」、そして「大金」が手に入るのだ。たった7人が決めたことだとしても、出場者にとって、その「恩恵」はとてつもなく大きい。
これだけの大きな「恩恵」を誰に手渡すのかを決めているのが、この7人なのだ。「レジェンド芸人」からなる7人の審査員は、自らの判断基準に基づき、「世間」に対して「次はこのコンビです」と提示しなければならない。審査員にとって、背負わされた「重責」はとてつもなく大きい。
「M-1グランプリ2018」決勝メンバーを俺のさまざまな「基準」で分けてみた。
① 一番、笑ったコンビ……トム・ブラウン
② 台本がすごいと思ったコンビ……和牛
③ 会場を沸かせたコンビ……霜降り明星
④ 「漫才スタイル」が好きなコンビ…ミキ
⑤ 想像できないネタをしていたコンビ……ジャルジャル
⑥ 「テクニック」がすごいと思ったコンビ……かまいたち
ここで俺が、「一番ウケてるやつがすごいんや」と思えば、「霜降り明星」に高得点をつける。「この台本はすごいな」と思えば、「和牛」に高得点をつける。「この漫才スタイルが一番や」と思えば、「ミキ」に高得点をつけるだろう。実際はこんな単純ではないが、さまざまな「角度」からのさまざまな「基準」というものがある。
俺は、今回の最終決戦を終えた時点で「和牛」のネタが一番だったと思った。「革新性」に重きをおいていたと思われる立川志らく師匠は、映画にとても詳しい。「和牛」が披露した最終決戦のネタの手法はすでに落語と映画にあるとツイッターでつぶやかれていた。その事実を知っているか、知っていないかでまた評価は変わる。「基準」は、自分が知り得た知識や情報の中で「幅」も変わる。
漫才を「審査」するというのは、「基準」が明確であれば難しいことではないと思うが、
誰もが納得する結果に終わるということは不可能である。だから、「M-1」という大きな「恩恵」のある大会ならば、大多数の納得が得られるであろう「芸能」「演芸」の世界で実績を得られた方々の「基準」により選ばれるという形をとっている。
ただ、この審査員でさえも、誰もが納得する人選にすることは不可能である。「地位」と「名誉」を得ている審査員からすれば、得なことなど一切なく、損しかない役回りなのである。
そして、「M-1グランプリ」には「漫才の日本一を決める大会」という側面以外の部分がある。いや、こちらのほうが本筋なのだ。それは
「テレビ番組」だということ。朝日放送が制作し、テレビ朝日系列で放送している「テレビ番組」のひとつ。どれだけ歴史があろうが、格式があろうが、
視聴率が悪ければ打ち切られる存在だ。
昨年、審査員の上沼恵美子さんは「マヂカルラブリー」を「
これで、よく決勝残れたな!!」と酷評し、話題となった。実際、「マヂカルラブリー」の得点は、7人の審査員中6人が最低点をつけ、残り1人も10組中9位の点数である。だから、ほぼ審査員全員が「マヂカルラブリー」にハマらなかったのだ。会場の空気もそこまでよくはなかった。
だから、
「あまりウケてなかったですね」という発言でも本来はよかったのだ。しかし、それでは面白くない。そういった状況をどうお考えだったかはわからないが、上沼さんは酷評をした。「マヂカルラブリー」に対して、こういう発言をしても大丈夫だろうと見越していたとも思う。それが話題となり、その後、「
上沼怒られ枠」という言葉も生まれて、昨年以上の視聴率を今年の大会は獲得した。「マヂカルラブリー」自身も事あるごとにこの話題が持ち上げられて、この1年間、平場では相当ラクだったと思う。
審査もしなければならない。漫才師が真剣な分、番組としてのエンターテインメント性も担わなければならない。盛り上げた分、批判の矢面にも立たなければならない。やはり、
審査員は損な役回りなのである。それでも引き受けていただいて、「世間」に対して飛び立つ漫才師の推薦人にもなってくれる。そんな「レジェンド芸人」に背中を押されたのだという自信が勇気となり、胸を張って戦いに挑める。「審査員」の方々は、尊敬するべき対象であり、その「審査員」が決めた「基準」の中で戦うことに間違いはないのである。