エンタメ

上沼恵美子に噛みついた久保田らを「俺は批判できない…」と元M-1ファイナリスト

死ぬ気で戦って審査される側の思い

 次に「審査」される側の出場者の気持ちに寄り添ってみたい。  選ばれた7人の審査員のそれぞれの「基準」が事前に告知されることなどは当然ない。だから、大ウケしたが、点数が低いという場合でも、「なぜ低かったのか?」が明確にならない。決勝戦を戦ったメンバーならば、番組の中で審査員のコメントがあったり、ほかのコンビとの点数の比較で、なんとなく審査員の「基準」や「傾向」が読み取れたりすることはあるが、準決勝までは合格者の発表のみで終わるのだ。 「なぜ落ちたのか?」を自分自身で考えて、答えを導き出し、来年に向けてまた1年間、死ぬ気で戦うのだ。導き出した答えが合っていて、1年後に決勝メンバーになるという「ある程度の成功」があればまだいいが、また準決勝敗退、もしくはそれ以下の成績に終わることになれば、何が正しいのかがいよいよわからなくなる。  俺自身も、「M-1グランプリ」第1回大会で最終決戦まで残り、優勝まであと一歩のところまで迫ったが、夢は叶えられなかった。悩んで苦しんで考え抜いて導き出した漫才を引っさげて挑んだ第2回大会で、2年連続決勝進出。しかし、点数は伸びず、CM中に親しくさせていただいていた審査員の島田紳助さんから「あんなネタしかなかったんか!!」と叱責された。  そこから迷走が始まり、「M-1」ラストイヤーで俺たちコンビは、最終的に「ボケ」と「ツッコミ」を入れ替えて挑み、3回戦で落とされた。追加合格で辛くも準決勝まで進出できたが、結局、敗退。俺の「M-1グランプリ」はそうして幕を閉じた。 「自分の好きなお笑いをやればいいのだ」。こういうことを言う人はいる。実際、本当にそうだとは思うし、それで優勝できたコンビは本当に幸せなコンビだと思う。しかし、ネタ番組が少なく、テレビに出るチャンスすら少なくなった昨今で、とてつもなく大きい優勝の「恩恵」を簡単に手放すことなどできるはずがない。だから、「合わせよう」とする。自分を殺してでも「合わせよう」とするのだ。

敗退して泣く芸人の前で、俺は審査員を批判した

 今年、とある事務所から一人の女性芸人を見てほしいと依頼された。彼女はとても才能があり、劇場でもしっかり笑いをとっている。しかし、コンテストでの結果は芳しくなく、廃業も考えていた。「自分を殺してでも売れたいです」。彼女は、俺にそう言った。  毎週、ネタを見た。彼女も毎週、さまざまなパターンの新ネタを持ってきた。絶対、本人はやりたくない「リズムネタ」も持ってきて、披露した。彼女のキャラクターにあっておらず、見ているこっちが恥ずかしくなる出来だった。そこから2人でさらに何十時間も話し合った。導き出したキャラクターをひとつのパッケージに特化させたネタを作り、「女芸人No.1決定戦 THE W」に挑んだものの、準決勝で敗退した。  俺は自分の力のなさを彼女に詫びた。そして、「審査員に知識がなかったから、わからなかったんかな」と審査員を批判した。もちろんわざとである。  自分自身も経験がある。この結果を誰かになすりつけたい。誰かのせいにしたい。結果の直後は冷静さを欠き、突き落とされた自分を守るために自分の実力のなさを隠して、他者に責任をなすりつけたいのだ。それを俺は彼女にさせたくはなかった。だから、俺自身がその行為をすることによって、冷静さを取り戻して、また明日から前を向いて歩いてほしかった。彼女は「自分の実力不足です」と泣いた。
次のページ right-delta
久保田らの言葉は最低だが…俺は批判できない
1
2
3
芸人迷子

島田紳助、松本人志、千原ジュニア、中川家、ケンドーコバヤシ、ブラックマヨネーズ……笑いの傑物たちとの日々の中で出会った「面白さ」と「悲しさ」を綴った入魂の迷走録。

⇒試し読みも出来る! ユウキロック著『芸人迷子』特設サイト(http://www.fusosha.co.jp/special/geininmaigo/)

おすすめ記事