FC琉球・小野伸二「最終的に浦和を選んだのはお金じゃなくて、気持ちでした」
プロスポーツ選手とお金……この関係は切っても切れないものともいえよう。貧しい生活から抜け出すためにサッカーや野球の選手を目指したという話は、枚挙に暇がない。むしろ、プロスポーツの競技レベルを支えるのは、こうしたハングリー精神ともいわれる。
プロサッカー選手として、国内外のクラブでプレーした小野伸二。彼にとって、お金とは一体どんな存在なのだろうか。
僕が浦和レッズに入団する際、一番契約金を高く提示したから浦和を選んだという話があります。実は他のクラブから提示されていた金額は大して変わらなかったんですよ。でも、僕は浦和を選んだんです。
あの当時、周りからは清水エスパルスに行くのが当然といわれていましたし、正直、僕も清水には特別な思いがありました。ただ、当時の清水の経営状態や僕自身考え直したいことなんかもあって、一度白紙にしたいな……と。そんなときに一番熱心に誘っていただいたのが浦和だったんです。毎日のように来てくれて、熱心に話をしてくれて……。こういうことって人の心を動かすというか、やっぱり大事だと思うんですよ。最終的に浦和を選んだのはお金じゃなくて、気持ちでした。
――とはいえ、プロスポーツ選手にとって、年俸や契約金はクラブからの評価の指数となり、選手としての価値を判断する基準となることは間違いない。
年俸が自分の価値になるわけですから、高ければ高いほどクラブから価値を見いだしてもらっていることになります。そういった意味では、チームで一番年俸をもらえるように頑張ろうという意識は常に持っています。結果を出していれば年俸を上げてほしいと言っていいと思いますが、結果を出していない人たちがそれを言ったらいけないですよ。それって当たり前じゃないですか(笑)。結果も出してないのに言うなんて、何を言ってんだってなりますからね。
海外移籍する理由の一つに高額な年俸があるともいわれますが、僕はお金じゃなかった。お金でいったら、そんなに高かったわけじゃないですし……。実際、オランダのフェイエノールトの練習に参加させてもらったときは、あんまりすごい感じはなかったんですよ。技術的なものも、日本人と海外の選手では、今も昔もボールを扱う技術にはそんなに差はないとも思います。でも、海外で戦った人にしかわからない、日本では経験できないすごさがありましたね。
前回も話しましたが、サッカー選手になろうと思ったきっかけは、中学2年の頃にあった母親の手術なんです。母親を、そして家族を幸せにしなくちゃいけないって思いから、絶対にプロサッカー選手になって稼ぐんだと。
でも、親や兄弟たちを自分の手で食べさせてやろうという思いはありましたが、自分の家族を持ったときは、そういう気持ちにはならなかったですね。「オレが家族を食わせるんだ!」みたいな感じではなくて、一緒に楽しく暮らしていけるように家族を守るんだという感じだったんですよ。不思議な感じですよね(笑)。
今まで、自分のためにお金を稼ごうと思って稼いだことは、一度もないかもしれないですね。やっぱり、お金を稼ぐのは自分の家族を守るためだったり、僕はよく後輩たちとごはんに行ったりするんですが、彼ら若手の面倒を見てあげたいというか、仲間として一緒に切磋琢磨して頑張っていきたいという気持ちがあって。昔から家族や仲間、後輩など、守るべき人のために稼ぐという考えはずっと持っていますね。
「誰のためにお金を稼ぐ?」と聞かれたら、人のためと言えば聞こえがいいかもしれません。でも、大切な人を守ったり助けたりすることって、僕の中では一番大切なことなんです。
’79年、静岡県沼津市出身。’93年にU-16日本代表に選出され、その後も各年代の代表として活躍。清水商業卒業後は浦和レッズに入団。その後、オランダ、ドイツ、オーストラリアなどのチームを渡り歩き、昨年8月に北海道コンサドーレ札幌からFC琉球へ移籍した
お金を稼ぐこと……それは自分のためではない
守るべき人のためにお金は稼ぐもの
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