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プロ未勝利、28歳で引退した甲子園春夏連覇のエース・島袋洋奨のいま

島袋洋奨

島袋洋奨氏は沖縄に戻り、現在は母校興南高校で事務員として働きながら通信教育で教員免許取得を目指す。将来は監督として甲子園でその姿を見ることができるかもしれない

 2010年甲子園春夏連覇した興南のエース島袋洋奨は中央大へ進学したが、3年秋からイップスにかかったおかげで、甲子園で無双していた姿は蜃気楼のように萎んでいった。それでも2014年のドラフト会議では、ソフトバンクから5位指名され、涙を溜めながら会見に臨んだ島袋が印象的だった。

イップスで苦しみながらもプロ入り

 大学を経由してプロに進んだ甲子園優勝投手は、全部で13人いる。そのうち、夏の甲子園優勝投手はたったの5人のみ。ただ、小川淳司(中央-河合楽器-ヤクルト、現ヤクルトGM)と西田真二(法政-広島、現セガサミー監督)は大学で野手転向、石田文樹(故人、早稲田中退-日本石油-大洋)は大学を中退し社会人野球経由のため、夏の甲子園優勝投手が大学を卒業してピッチャーとしてプロ入りしたのは、後にも先にも斎藤佑樹と島袋洋奨の2人だけなのである。だが、島袋は大卒であるにもかかわらず球団からは即戦力として期待されず、プロ生活は当たり前かのように三軍スタートで始まった。 「今振り返ると、入団が決まって心機一転やってやるという思いはありましたが、不安を完全にぬぐい去ることはなかったんです。プロになってからもコントロールの悪さは変わらなかったですしね。三軍からのスタートでした。入ってみると、プロになって心機一転という気持ちにはなれませんでしたね。一度投げることに不安を持ってしまったおかげで、引退するまで投げることに関して不安は消えなかったです」  プロ初登板は、野球人生の中で最低最悪だった。キャンプ後の3月に行われた三軍の交流戦対福岡工業大学で7回から登板した島袋はいきなり8球連続ボール、結局1回持たず2/3で被安打3、四球3の6失点。続く西部ガス戦も7回から登板、1回を被安打3、四死球3で3失点。とにかくストライクが入らない。4月の九州総合スポーツカレッジ戦では1イニングで6四球の大乱調。

コーチ、ドクターと二人三脚で復活を目指す

 大学3年秋から出てしまったイップスによる乱調で、プロに入ってからもまともなピッチングができない。島袋は、もう一度自分が理想とするピッチングをするために三軍の入来祐作コーチと一緒にフォーム作りから見直した。さらに大学時代から見てもらっていたパフォーマンスドクターの松尾祐介を神戸から呼び寄せ、フォームに対する感覚の徹底的なチェックを行った。 「登板できない期間にフォームを徹底的に見直しました。身体を捻ってタメを作る際、左の股関節を上へ、左の脇腹を下へ押し込んで挟み込むようなイメージで、そこから投げていくことを意識しました。段々と身体に馴染んできたことで調子が上向きになりましたね」  入来コーチの指導と、松尾ドクターのアドバイスにより、ストレートが145キロ以上計測されるようになり、さらにコントロールもよくなっていった。そして、シーズン終盤の9月下旬遂に一軍から声がかかる。 「監督に突然呼ばれて『上(一軍)に行け』って言われたときはもうびっくりして『マジですか!?』ってテンパりました(苦笑)。荷物をまとめて急いで札幌ドームに向かいました。札幌では登板せず、その次のアウェーだったマリンスタジアムでのロッテ戦で初めて一軍で投げました。フワフワしていてほとんど何も覚えていないです」  2015年9月25日の対千葉ロッテ戦で、8回表に4番手でプロ初登板し、1イニングを無失点で抑える。結局、ルーキーイヤーは2試合登板 2イニング 被安打1 奪三振2。1年目に一軍を経験したことを生かし、2年目は飛躍するシーズンにする……はずだった。
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一軍キャンプでスタートするが……
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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