間寛平71歳、借金やガンを生きのびた秘訣を語る「恥を捨てて口に出すことや」
お笑い芸人や歌手、タレントとしてマルチに活躍する間寛平さん(71)は、今年で芸能生活51周年を迎える。
寛平さんの芸能活動スタートは吉本新喜劇だった。当時の花形スターだった花紀京さんの弟子として入団し、24歳という若さで座長に就任。
また、25歳の時には“パチンコソング”として有名な「ひらけ!チューリップ」で歌手デビューを果たし、ミリオンヒットを記録する。
話芸にギャグに、そして歌手までこなす芸達者ぶりで、芸能界のスターとしての階段を登りつめていった。
しかし28歳の結婚後、ほどなくして先輩芸人や知人など複数の連帯保証人になったことがきっかけで、たちまち寛平さんは“借金地獄”に陥ることとなった。
寛平さんは当時の辛さをこう語る。
「当時は毎日、神様に向かって『僕、何一つ悪いことせんかったですよね?』という言葉を投げかけるくらい、本当に苦労した時期。思い出したくない過去ですわ。厄介やったのは、借金を肩代わりしてくれる人のところには、借金している人がやってくる。だから、どんどん借金が膨れ上がっていった。もうこの頃は本当に“とほほ状態”でした」
そんななか、1985年から放送開始した関西テレビの深夜バラエティ番組『今夜はねむれナイト』から誕生した「アメママン」がお茶の間で評判となる。そして、借金地獄から抜け出すための起死回生を狙った一手として、アメママンをモチーフにした「アメマバッジ」を製作した。
だが、グッズ販売で大儲けしようと青写真を描いたはいいものの、製作した10万個のほとんどが売れ残ってしまう事態に……。
さらに借金を背負う羽目になった寛平さんは、6300万円を超える借金返済のため必死にもがき苦しんだ。
「事務所の吉本からは『勝手に営業行ってええで』と言われていたので、とにかくなり振り構わず稼ぎに出ていた。そうでもせえへんととてもじゃないけど借金は返せない……」
他方、寛平さんがお金に苦慮していた状況を鑑み、“ネタ”として取り上げられることもあったとか。そして、それが「ランナー」としての思わぬ未来につながることとなる。
「アメマ〜!」「アヘアヘアヘ」「かい~の」といったお馴染みのギャグでお茶の間に笑いをもたらすだけでなく、国内外のフルマラソンやスパルタスロンの完走、アースマラソンでの地球一周達成など多くの人々へ勇気や感動も届けてきた。
そんな寛平さんだが、半世紀にわたる芸能生活はまさに山あり谷ありの波乱万丈な人生だったと言っても過言ではないだろう。
多額の借金返済に追われた時期や、アースマラソン中の予期せぬ前立腺がんの発症……。苦難の連続だった生涯をどんな気持ちで乗り越えてきたのか。その心中を聞いた。
6300万円以上の借金地獄で“とほほ状態”だった過去
アメマバッジも大失敗。借金返済に追われて…
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている
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