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「母国で仲間が殺されている」ナイジェリア・ビアフラ出身女性の悲痛な願い

身の危険があり帰国できずにいるが、難民申請は認められない

母国の内戦状態に胸を痛め、虐殺をやめるよう訴えるエリザベスさん

母国の内戦状態に胸を痛め、虐殺をやめるよう訴えるエリザベスさん

 7月16日、港区虎ノ門にあるナイジェリア大使館前で「ビアフラ」という地域の出身者による抗議行動が行われた。東京をはじめ、大阪、愛知、神奈川など、日本各地から100人以上が梅雨明けの炎天下に集まった。  日本人配偶者がいてビザのある人もいるが、中には難民申請中で仮放免の立場に置かれている人たちも参加していた。 「ナイジェリアでは、ビアフラの人々が日々殺されています。その方法は残酷で、目を潰したり、両手を切り落としたり。ひどい殺され方をしています」  怒りの混じった表情でそう話してくれたのは、この行動に参加していたエリザベスさんという女性だ。彼女はビアフラ出身で、1991年に来日した。長年日本に暮らしているがいまだに難民として認められず、一切の在留資格を与えてもらえていない。  彼女は身の危険があるナイジェリアに帰ることができず、保険も就労資格もない仮放免の状態のまま苦しい生活を強いられている。過去には出入国在留管理庁(入管)の、処遇が劣悪な収容施設に2度も収容されていた苦い経験も持っている。  彼女は普段、ボランティアをしている。入管収容施設にたびたび足を運んでは、被収容者に面会して励ましたり、入管に難民の権利を訴えたりと、ほぼ毎日のように活動している。今年4月に入管法改正案が衆議院で審議入りとなった時にも、多くの支援者とともに廃案を求めて国会前でシット・イン(座り込み)を何日も続けていた。

ナイジェリアの「ビアフラ戦争」の問題はまだ終わっていない

 今回の大使館前の抗議行動は、ほんどが男性の参加者ばかりだったが、彼女は中心メンバーの1人として母国の平和のために声をあげ続けた。  発端はビアフラ戦争から始まった。ビアフラ戦争とは1967年7月から1970年1月までナイジェリア国内で起きた内戦だ。東部州軍政知事のオドメグ・オジュク氏が「ビアフラ共和国」として分離・独立を宣言して戦争が始まり、ビアフラ側の敗北に終わった。オジュク氏は海外に亡命、200万~300万人の死傷者・餓死者が出た。  この内戦は50年前に終結したように思われているが、実はこの問題は終結していない。ビアフラの人々に対するナイジェリア政府の迫害は、現在も続いているのだ。ナイジェリアがビアフラの独立を抑えようとする大きな要因は、南東部に位置するビアフラの土地は石油埋蔵量が豊富であるからだと言われている。 「ボコ・ハラム」などの武装勢力も現れて、ナイジェリア国内はさらなる混沌をひき起こしている。村や学校を襲撃しては虐殺を行ったり、生徒を誘拐したりといった残虐な行いを繰り返している。  大使館前のデモに参加した人々は口々に説明してくれた。 「子供だって容赦してくれません。妊婦すら胎児ごと殺されてしまうなど、罪のない人たちが苦しめられています」 「政府はボコ・ハラムなどの武装勢力にお金を渡して、ビアフラの人たちを殺すように煽っているのです」 「日本で暮らしていて、ビザのある人は里帰りすることもできます。それでも、あまりの治安の悪さから危険を伴います」
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ビアフラ民族組織の指導者をナイジェリア政府が拘束
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おだあさひ●Twitter ID:@freeasahi。外国人支援団体「編む夢企画」主宰。著書に『となりの難民――日本が認めない99%の人たちのSOS』(旬報社)、入管収容所の実態をマンガで描いた『ある日の入管』(扶桑社)

ある日の入管~外国人収容施設は“生き地獄”~

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