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伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』誕生秘話。じつは原型となる「ヤンキーの雑誌」があった

 こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申します。ティーンズロードは1989年に創刊され、90年代には社会現象に。現在は廃刊となっておりますが、そんな本誌に10年以上携わっていました。
ティーンズロード

写真は、『ティーンズロード』の表紙

 初代編集長の比嘉健二氏が当時を綴ったノンフィクション作品『特攻服少女と1825日』が第29回小学館ノンフィクション大賞を獲ったことで話題を呼んでいますが、あの頃は“なんでもアリ”とは言いませんが、暴走族が人気者になれる時代でした。  令和においてはコンプライアンス的にも許されませんが、今回は『ティーンズロード』創刊時の秘話を、私の目線でお届けしたいと思います。あくまで昔話としてお読みいただければ幸いです。

“車の雑誌をつくる”はずが、まさかのレディース(女暴走族)!?

 今からさかのぼること35年前、25歳の私は、あまりやりたいこともなく、フラフラしていましたが、「車好きだよね? オレのいる出版社で車の雑誌をつくらない?」と声をかけてくれた人がいます。  その人こそが、『ティーンズロード』初代編集長の比嘉健二氏です。ちなみに、今でも頭があがりません……。さておき、私は「車の雑誌の編集者か……ちょっとカッコイイなー!」と思い、軽い気持ちで「やりまーす! よろしくお願いします!」と返事をしました。そして、数日後すぐに出版社の編集者として働くことになりました。  初代編集長が笑顔で言います。 編集長「レディース(女暴走族)の雑誌をつくるからよろしくね!」 私「え? 車の雑誌をつくるのでは……?」 編集長「そうだよ、レディースだって車や単車に乗ってるじゃん!」 私「え? でも、暴走族ですよね?」 編集長「そうそう、よろしくね!」  あまりにもサラリと言われ、呆気にとられてしまいました。そこから私の暴走族専門の編集者人生が始まったわけです。  ただ、いきなり『ティーンズロード』が生まれたわけではありません。じつは、その前に原型となる雑誌をつくっていました。

「ヤンキーの雑誌」がほぼ完売

ツッパリ少年少女カタログ

写真は、『ツッパリ少年少女カタログ』より

「とりあえず、最初にヤンキーの雑誌と外車で改造車の雑誌を続けて出すから頑張ってね」  編集長はそう言いますが、私は雑誌がどうやってつくられているのかも知らず、ぶっつけ本番状態。編集長の後にくっついて現場に行ったのを覚えています。取材のために、改造された外車や暴走族が集まるイベント的なものに行きますが、自分でも何をやっているのかわからない感じです。
ツッパリ少年少女カタログ

写真は、『ツッパリ少年少女カタログ』より

 しばらくして、その「外車の雑誌」と「ヤンキーの雑誌」を順番に発売したのですが、結果としては、外車の雑誌もそこそこ売れましたが、なんと、ヤンキーの雑誌のほうは完売に近い売れゆきだったのです。
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バブルの時代、東京に暴走族はほとんどいなかった
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伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』をはじめ、改造車だけを扱うクルマ雑誌『VIP club』や特攻服カタログ『BAMBO』、渋谷系ファッション雑誌『MEN’S KNUCKLE』など、数々の不良系雑誌の編集長を務めて社会現象を起こす。現在は、大洋図書発行の実話誌『実話ナックルズ』のYouTubeチャンネル「ナックルズTV」や、ギャル男雑誌『men’s egg』をWebで復活させたYouTubeチャンネル「men’s egg 公式」のプロデューサーとして活躍中。

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