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串カツ田中、創業当時は「絶対うまくいくわけない」と言われたが…15年で“全国318店舗”まで成長できたワケ

 たこ焼きやお好み焼きといった“粉もん”のように、大阪名物のひとつが「串カツ」だ。  関西地方では定番の食ジャンルとして愛されてきたが、2000年代後半から関東圏にも串カツチェーンが出店を始めたことで認知度が高まった。そのブームを牽引してきたのが「串カツ田中」である。
定番8本盛り

串カツ田中の「定番8本盛り」

 2008年12月に世田谷区内の“住宅街の一角”で1号店をオープンし、そこから破竹の勢いで店舗を拡大。現在は全国に318店舗を構えるまでに成長した。  なぜ串カツ田中は、人流の少ない住宅街をあえて狙った出店を進めたのか。大阪名物の「串カツ」が関東で火がついた理由は? 株式会社串カツ田中 取締役の織田 辰矢さんに話を聞いた。

創業者の部屋の片付けから出てきた“秘伝のレシピ”

織田辰矢

株式会社串カツ田中 取締役の織田辰矢さん

 串カツ田中は“大阪伝統のB級グルメ”として、2008年に東京・世田谷に1号店をオープンした。貫啓二氏(串カツ田中ホールディングス 取締役会長)と田中 洋江氏(株式会社串カツ田中ホールディングス 取締役 相談役)の2人で創業した同店は、飲食店を営む上では、決していい立地とは呼べない住宅地の一角だった。
世田谷店

串カツ田中 世田谷店の写真(創業当時)

 周囲からも「絶対うまくいくわけない。やめた方がいい」という反対意見が相次いだ。だが、大阪の西成出身である田中氏の亡き父親が残した“秘伝の串カツレシピ”こそ、串カツ田中が繁盛する決め手となった。 「まるでドラマのような本当の話ですが、田中が引越しに伴う部屋の整理をしているときに、偶然にもそのレシピを見つけたと聞いています。レシピに沿って試しに串カツを作ってみたところ、味の美味しさに驚き、それが串カツ屋を始めるきっかけになりました」(織田さん、以下同)  周囲の心配をよそに、串カツ田中1号店は地元民を中心に口コミで人気が高まり、話題の串カツ屋として知られるようになる。

本物の串カツの味を広めるためにフランチャイズ化を決意

串カツ

串カツを揚げている様子

 その後も中目黒(2号店)、尾山台(3号店)、都立大学(4号店)、方南町(5号店)、武蔵小杉(6号店)と、創業から順調に店舗数を拡大させていく。  その一方、大阪名物の串カツが「まあ、こんなもんか」と思われるのを不安視していたそうだ。というのも、串カツ田中の隆盛によって、串カツ業態を模倣する同業者も出始め、模倣店が増えていったからである。 「お好み焼きやたこ焼きといった大阪名物は、食文化として関東に根付いていますが、その頃の関東では、串カツを知らないお客様が多かった。串カツ田中の串カツではなく、模倣店の串カツを食べることによって、串カツ本来の美味しさや魅力が伝わらないのは、もどかしい部分でもありました。  そのため、自分たちだけで店舗展開するのではなく、FC募集をかけて串カツ田中をより多くの人に知ってもらおうと考えたんです。こうして、串カツ田中は2011年よりFC店舗の出店を本格化させさせました」
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串カツ元祖の大阪で…
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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