“蓮舫ステッカー騒動”で議論再燃「ステッカーは誰が、何のために貼るのか?」アーティストを直撃
7月7日に投開票された東京都知事選の後、落選した候補たちが“落武者狩り”といわんばかりに続々とSNSで炎上した。そのひとつが、蓮舫氏にまつわる“ステッカー騒動”だ。
都の屋外広告物条例では、無許可で紙などを貼る行為が禁じられており、違反者は30万円以下の罰金刑に処される。また、刑法においても軽犯罪法違反や、器物損壊罪に問われる可能性がある。
結局、蓮舫陣営はこの件について関与を否定し、貼った人物にはステッカーの回収と現場の原状回復を求めた。なお、ステッカーそのものが(何者かによって)演説会場で配布されていたことについては、支援者のSNS投稿などから明らかになっている。今回、複数の投稿主に取材を申し込んだが、期限までに回答はなかった。
また、SNS上では、蓮舫陣営に対する追及の声と共に、街中に貼られたその他のステッカーに対しても否定的な声が多く上がったが、そもそも、これらのステッカーはいったい誰が、何のために貼っているのだろうか?
筆者はストリートステッカーを個人的に5年ほど追い続け、街で見かけたステッカーをInstagramにアップしているうちに、国内外のアーティストと交流を持つようになった。その過程で、ストリートカルチャーの世界では街中にステッカーを貼る行為を「ステッカーボム」と呼び、グラフィティなどと同様にアートとして受容する声があることを知った。その歴史については、米国のステッカー販売サイト「StickerYou」内の解説記事に詳しい。
同記事によると、ストリートに初めてステッカーを持ち込んだアーティストは、1970年代に米国・ニューヨーク市内を“TAKI 183”のグラフィティで埋め尽くしたDimitrakiという人物とされている。当時、ステッカーはあくまでグラフィティアートの一部として見られていたという。
1980年代に入ると、ステッカーはひとつのジャンルとして確立しはじめる。きっかけは、ファッションブランド「OBEY」で知られるアーティストのShepard Fairey氏が、地元の街をオリジナルステッカーで埋め尽くしたことであった。この出来事が全米で報じられると、「ステッカーはグラフィティよりも拡散しやすい」という利点が見出され、ステッカーボムは急速に広まっていった。
なお、当時は個人でオリジナルステッカーを印刷すると費用が高くついたため、郵便局で無料で手に入る宛名ラベル(通称228ラベル)に手書きでグラフィティを描くスタイルが主流となった。これは、ステッカーデザインにおけるクラシックなスタイルとして現在も定着している。
選挙期間中に渋谷、新宿などの繁華街で「R」マークのステッカーが大量に貼られているのが見つかり、これが蓮舫陣営の使用していたシンボルに酷似していたことから、関与が疑われたという話である。
投稿主に取材を申し込んだが…
そもそもステッカーの歴史を紐解く
2015年よりライターとして活動中。実話誌を主戦場に、国内外の裏社会事情や珍事件、B級ニュースなどを追い続けている。イベンターとしても活動しており、東京都・阿佐ヶ谷のライブハウス「南阿佐ヶ谷Talking Boxトーキングボックス」で月に1回、出版関係者を招いたトークイベントを開催中。Twitter:@zerojirou
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