伝説のセクシー女優が“出演を決意した”経緯「3本くらい出て普通の社会に戻るつもりだった」――仰天ニュース傑作選
2024年の大反響だった記事をピックアップ! すご過ぎて順位はつけられない「すごい人生」部門はこちら!(集計期間は2024年1月~10月まで。初公開2024年2月11日 記事は取材時の状況)
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90年代半ば、アダルト業界に彗星の如く現れ、わずか数年の活動期間のうちに高い知名度を誇ったのが、小室友里氏だ。まだセクシー女優という言葉さえなく、AV女優と呼ばれていた時代。彼女は、主要メーカーの代表的なシリーズ作品を総ナメにする高い人気にくわえ、その美貌と親しみやすいキャラクターによって、ナンバーワン女優の地位を不動のものにした。総売上枚数100万枚以上という脅威の数字がそれを物語る。
現在、小室氏は男女コミュニケーション専門家として、性的な部分も含めた男女間のコミュニケーションなどについて、アドバイスを行っている。
男女はなぜすれ違うのか。殊にそこに性が持ち込まれた場合、なぜもつれるのか。性と向き合うなかで小室氏がたどり着いた解を示してもらった。
「最初は3本くらい出て、普通の社会に戻っていくつもりでした」
そう微笑む小室氏の顔が印象的だ。もともとはアイドルに憧れていたと話す10代のころ。小室氏をAV出演させたのは、所属事務所の社長の一言だった。
「社長からは『これはビジネスとして考えなさい。そこで得られたお金が必ず将来あなたを救うから』と言われました。まだ小娘の年齢だった私に対して、未来への言葉をかけてくれたんです。当時AV女優になる人といえば、お金に困っているか、キャリアアップの野心があるか、どちらかに大別されたと思います。私はどちらでもなかったのですが、社長の言葉で決意しました」
小室氏の思い切りの良さと興味関心を掘り下げる力は両親も重々承知していたこと。両親からは「最後まで理解はされませんでした」と言うものの、「あなたの人生だからと深い愛情で包みこんでくれた」のだという。
「昔から、やると決めたら絶対に押し通してしまうところがあるんです。小学校1年生の頃、兄がやっていた影響で『私も柔道をやりたい』と始めました。ヤワラちゃん(谷亮子選手)が同世代なのですが、彼女が有名になるまで、柔道=男性がやるもの、という固定観念があったように思います。そんななかで柔道をやり始めましたが、小学校卒業まできっちりやり通しました。途中、初潮を迎えて道着が汚れないかハラハラしたり、掴み合いで胸がはだけるのが不安だったり、いろいろありましたが、絶対にやり通すと決めていました」
培った度胸でAV業界の荒波をも乗り切った小室氏。もっとも驚いたのは、引退するときのこんな一幕だ。
「引退を決めたとき、事務所側から『引退後、応援したいと言ってくれている人がいるんだけど、どうする?』と聞かれました。その方は芸能関係者ではないものの、資金面などでさまざまな方面の支援をしてくださっていて、顔の利く人です。おそらくはテレビタレントなどの一般芸能へ転身するには、その方の“応援”が必要だったのだろうと推測します。ただ、私はお断りしましたが」
事務所社長の一言に背中を押されて
柔道で「物事をやり通す」気概を身に着けた
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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