ばくち打ち
番外編その3:「負け逃げ」の研究(19)
大手カジノで、打ち手に仕掛けるハウス側のいかさまは成立し得ない。
こう書くと、スリランカやカンボジアのカジノでなんじゃらこんじゃら、とか、韓国の某所でこうだった、などという例を持ち出してくる人たちも多いのだけれど、わたしが対象として語っているのは、あくまで「大手」カジノだ。
弱小は知らん。
加えるに「カジノ管理機構」が存在しない、ないしはそれに類するものが正常に機能していない国の小さなカジノであれば、カジノ側のいかさまはあってもおかしくない、いやあるだろう、とわたしは考えている。
なぜ大手カジノで、打ち手に仕掛けるハウス側のいかさまは成立し得ないのか?
しっかりした論理も根拠もある。
これについては、そのうちに集中して書くつもりだ。乞う、ご期待。
* * *
さてさて、早朝のバカラ卓で、それまでの勝ち分をすべて失い、ここでわたしは迷った。
勝負を継続するためには、フロント・マネーに手を付けなければならない。
すなわち、もう他人のおカネで打つ博奕(ばくち)ではなくなる。
だいたい、バカラのイロモノなんかに手を出して、奇蹟みたいに一手で30万HKD(450万円)を勝ってしまったのがいけなかったのだろう。
まさにIさんが指摘した‘Easy come, Easy go.’だった。
プレミアム・フロアに付属した小食堂で、ひとまず朝食を摂った。
いつものように、揚げた豆腐とニンニク・チップを大量に載せて、お粥をすする。
珠海(ジュハイ)(マカオに隣接する大陸側の大都市)で日系企業の工場長をやっていたわたしの友人によると、広東粥というのは、とぎもしないロンググレインのコメに水を大量にぶちこみ、「花が咲く」まで煮込むのだそうだ。
それだけ。他になにもしない。
それなのに、広東粥は旨い。
「早いですね」
小食堂で負け博奕の打ち手の胃に優しいお粥を掻きこむわたしの背中に、岸山さんが声を掛けてきた。
「あなたこそ、早いじゃないか」
まだ、6時ちょっと過ぎである。
「カジノに来るとアドレナリンが出まくって、3時間以上眠れないんです」
そういう打ち手たちは多い。
毎回、無泊4日などという剛の者まで、わたしは知っている。
「昨日はどうだったの?」
とわたし。
「フロアから森巣さんが消えてすぐに、17目(もく)のバンヅラ(バンカー・サイドの連続勝利)が出ました。タイもない。ストレートのツラですよ。いや、エライことになった。長いバンヅラが終わってからも、P(=プレイヤー側のこと)は1目切れで、バンカーは必ずひっつく。もう、お祭りでしたね。Iさんは軽く1億円突破です」
なんであのとき、岸山さんとIさんが坐る卓を離れたのか。
まあ、歯車が噛み合わなくなったときの博奕なんて、そんなものなのだろうが、わたしは深く後悔する。
そしてここは重要だ。
博奕では、途中で反省したり後悔したりする奴は、負けるのである。
これも、「科学的」な主張ではない。
「科学的」な主張ではなくても、わたしの経験則から導き出した「不動の真理」である。
おそらくわたしだけではなくて、カジノ経験が長い者たちに共通する認識ではなかろうか。
「岸山さんの戦果は?」
17目のツラが出てくれれば、負けようがない展開だったはずだ。
言葉を換えれば、ツラが出ないバカラでの大勝は難しい。
「Iさんほどではなかったけれど、しっかりと勝たせてもらいました。今日はそれにすこしだけ上乗せしてから、香港に移動するつもりです」
そういえばこの人は、もともと香港での商談があったから、マカオのカジノに顔を出したのだった。
「お粥でも食べる?」
「いやわたしは、雲呑麺。昨日の朝もそうだったんだから」
やはりここにも「ゲン」をかつぐ人がいた。
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