番外編その3:「負け逃げ」の研究(32)

 教祖さまは、もう悲惨な状態である。

 握る3枚目のカードの位置を替えると、赤黒く膨れ上がった顔で縦サイドから絞りだした。

 すこしずつ。

 ほんとうにスローに。

 1ミリの数分の1ずつめくっていく。

 こめかみに浮いた黒い血管が、早鐘を打っていた。

 8が現れたら、即死。

 6なら即死はないのだが、プレイヤー側は4プラス6で持ち点がゼロとなり、勝利の可能性もゼロとなる。わたしが3枚目で7を起こし、同じく持ち点ゼロとなる(=タイ)ことを祈るのみ。

 サンピンでは最良の7のカードを起こしたところで、持ち点1となって、まあ軽くわたしに叩かれてしまうのだろう。

 苦しめ、もっと苦しめ。はっはっは。

 バカラの絞りを経験したことのない人に、こんなことを書いても理解できないかもしれない。

 ダイヤのスートゥ(=マーク)を除くサンピンのカードには、絞り方がある。

 俗に「花が咲く(向く)」と呼ばれる方向と、その逆のものだ。

 ただし、7が必要な場合では、カード中央が「上つき」と「下抜け」の組み合わせでなければならないので、アタマ(花が咲く)側からだろうとケツ(花が咲かない)側からだろうと、どちらからカードを絞っても変わりはない。

 どれぐらいの時間をかけ、教祖さまはカードを絞っていたのか。

 もっと永かったのかもしれないが、おそらく2~3分のものだったと思う。

 精根尽き果てたという様子で、がっくりと頭を垂れた教祖さまが、3枚目のカードをディーラーに戻した。

 ハートの6が、フェイス・アップされる。

「ハン、マット(プレイヤー、ゼロという意味の広東語)」

 ディーラーが無表情で、プレイヤー側の最終持ち点を読み上げた。

 6を絞り起こすのにあれだけ時間を掛けていたのだから、教祖さまはケツの方から絞っていたのだ、とわたしは推察する。

 ケツにマークが現れずひとまず8のカードをクリアして、絶望の崖のぎりぎりのところで踏みとどまったのだけれど、上方にもマークはついていなくて、再び絶望の淵に突き落とされた。

 そんなところだ。再び、はっはっは。

 まあ、敵のそんな追い詰められた状況が手に取るように読めても、バカラに強くなるわけじゃないのだけれど。

「バンカー」

 そう言うと、ディーラーがバンカー側3枚目のカードを、シュー・ボックスから抜き出した。

 わたしの席前に流そうとするのを、わたしは遮った。

 敵の持ち点はゼロである。

 したがって、わたしに負けはない。

 こういうときにカードを絞り、13分の1の確率である7の数字など絞りだしてタイにしてしまうと、目も当てられない。

 ダメージが大きいのである。

 それにこの時、そこはかとないいやな予感が脳裏をかすめた。

「ディーラー、オープン」

 あんたがカードを開きなさい、という意味である。

 ディーラーがバンカー側3枚目のカードを、くるりとひっくり返した。

「アイヤアァ!」

 と叫んだのはわたしじゃなかった。

 教祖さまとディーラーが、同時に叫んだ。

 そこはかとない、わたしのいやな予感は的中していた。

 カジノというのは、よい方の予感は当たらなくても、悪い方のそれはよく的中するものなのだ。いやになるほど、よく当たる。

 ディーラーの席前の羅紗(ラシャ)の上に、スペードの7が起きていた。

 ん、なんじゃ、こりゃ。

 プレイヤー側の持ち点ゼロを叩けていない。

 こんなん、ありか?

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(33)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。