番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(6)

 負け込み、「目に血が入って」しまった博奕亡者たちに、ジャンケット・ルームでどんどんとカネを貸し出すのである。

 と、先述した。

 あたかもジャンケット事業者が、わざわざ貸し金を押し付けているようだが、これは正確な表現ではなかった。申し訳なし。

 正しくは、「目に血が入って」しまった打ち手たちが、「カネを回せ」とジャンケット事業者に哀訴・懇願するのである。

 ジャンケット事業者は、顧客たちのリクエストに、親切かつ誠実に応えて差し上げているだけなのだ。

 ジャンケット事業者が直接打ち手に貸し出す場合もあれば、金融屋から回してもらうケースもあった。

 ここいらへんは、打ち手の信用の度合いによって、事業者側の対応が異なるのだろう。

 先に挙げた例のごとく、100万HKDのクレジットで博奕(ばくち)を打ち始めた陳さんに、ハウスのハコを出るときには500万HKDあるいは1000万HKDのアシ(=借金)がつく。

 さてここで問題となるのは、当然にも大陸に戻った陳さんの「アシ切り(=借金の返済)」だ。

 ジャンケット事業者あるいは金融屋から見れば、「債権回収」である。

 ほとんどの場合、大陸で債権取り立てを専業とする者たちが依頼を受け、この債権回収の業務をおこなう。

 金融屋など、それ専門の業者を傘下にもつ。

 まあここで言う業者とは、どういう種類の人たちか、だいたいの想像はつくだろう。

 余談だが、これは中国大陸内だけの話ではなくて、日本でも同様だった。

 その昔、マカオでのジャンケット事業者たちへのライセンス審査が、まだ厳しくなかった頃の話だが、日本のジャンケットは、大雑把に書けば以下のふたつの理由によって、広域指定暴力団がケツ持ちをしている場合が多かった。

1) 日本国内で仕切られる非合法賭場の上客リストを握っていた。

2) 本来ならもっとも厄介なはずの「債権回収」が、相対的に容易に実行できる。

 1990年代の某所にあった日本のジャンケット事業者の「追い込み」「切り取り」は、その厳しさで知られていた。

 1億円の博奕借金のカタに、時価10億円の不動産を押さえてしまう。

 日本での「追い込み」「切り取り」は、俗にいう「折り返し」でそのスジの専門家たちにまかされることが多かったそうだ。

「折り返し」というのは、回収した金額の半分は回収した者が取っていい。

 だからどうしても、「追い込み」「切り取り」の方法が、エグいものとなる。

「債権者の代理人」を名乗る人相悪しき者たちが、自宅前で大声で返済を迫る。

 日の丸つきの戦闘服を着た若い衆が、大日本帝国陸海軍歌を流しながら、街宣車で会社に押し掛ける。

 ――この会社のXXは、マカオのカジノでつくった借金を、返済しようともせいへん。そういう人倫にもとるおっさんに、会社の経営をまかせていいものなのか。出てこい、XX代表。天誅を加える。

 と、大音響のスピーカーでがんがんやる。

 XX代表も、たまったもんじゃない。

 論理なんてどうでもいいのである。歴史的には、軍歌は常に論理を駆逐した。

 関西だと、そのスジの専門家たちだけではなくて、兵庫県警あるいは大阪府警とか京都府警のヤメ刑事(デコ)たちもずいぶんと活躍した、と聞いている。

 オモテとウラが渾然一体となっていた当時の日本社会でも、これはいくらなんでも、やり過ぎだっただろう。

⇒番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(7)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。