番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(11)

 イギリスの「香港租借権」、ポルトガルの「マカオ租借権」が期限をむかえ、中国共産党政府に施政権が移管されたのだから、当然にも政治・経済・社会その他もろもろに巨大な影響が及んだ。

 当時、というか現在でもそうなのだが、香港・マカオといえば、北京政府にとって「金の卵を産むガチョウ」である。

 ご存じのようにイソップ寓話で語られる「金の卵を産むガチョウ」とは、こうだ。

 ある日農夫は飼っているガチョウが黄金の卵を産んでいるのを見つけて驚く。それからもガチョウは1日に1個ずつ黄金の卵を産み、卵を売った農夫は金持ちになった。しかし農夫は1日1個しか卵を産まないガチョウに物足りなさを感じ、きっとガチョウの腹の中には金塊が詰まっているに違いないと考えるようになる。そして欲を出した農夫はガチョウの腹を切り裂いた。ところが腹の中に金塊などなく、その上ガチョウまで死なせてしまった。(Wikipediaによる)

 欲をかいて香港・マカオ経済の腹を切り裂き、それを殺してしまえば、元も子もなくなる。

 そこで北京政府は、香港とマカオを「特別行政区」に指定し、「一国二制度」でこの激動期を乗り切ろうとした。

 行政権の首根っこは北京が握るが、あとは従来通りにやってくれ、ということである。

 オモテの社会ではそうなったのだが、ウラの社会では、中央政府の命令どおり簡単にコトが運ぶわけではない。

 香港・マカオの豊かな経済を目指し、大陸の黒社会(地下組織のこと)の住人たちが、雲霞(うんか)のごとく押し寄せた。

 そこで勃発したのが、いわゆる「マカオ戦争」である。

 これが1999年秋だった。

 大陸からマカオに進出してきた黒社会の住人たちは、貧しかった。

 失うものがない。

 命の値段だって、安いものだ。

 それがマカオという、当時の人口は50数万人だが、アジアでも有数の裕福で安全な都市に、カネと栄光を求め、まるで津波のごとく押し寄せた。

 敗戦直後の日本の社会史をひもといてみれば、その構図はわかりやすいはずだ。

 焼けたトタンの匂いがまだ残る東京・横浜・大阪・神戸等の都市の瓦礫の中から自然発生した、「失うものは命だけ」とする愚連隊の若者たちの台頭である。

 それまで抑えつけられていたエネルギーが一挙に解放され、新しい暴力は、既存の地下社会集団が形成していた秩序に、嵐のごとく襲いかかった。

 敗戦直後の日本で起こったのとほぼ同様なことが、施政権返還を期に、香港・マカオでも起こったのである。

 日本では誤解している人たちが多いのだが、そもそも合法カジノの周辺の治安とは、とても良好なものだ。

 当たり前の話である。治安が悪いような場所で、大量の現金を持ち歩こうとする酔狂な者など居ないのだから。

 カジノのセキュリティとか関係当局が、厳重にその周辺の治安に眼を配る。

 マカオを安全で楽しめる都市にする(そうしなければ、金持ちたちが寄り付かない)、とする地元地下勢力と香港三合会(香港の地下組織の連合体)との「血の誓約」は、新しい暴力の登場によって、一顧だもされず破棄された。

 古いウラ秩序が、新しい暴力の挑戦を受けたのである。

 既存のウラ社会がウラ社会なりにもっていたルールや仁義は、新しい暴力には通用しない。

「なんでもあり」の「仁義なき戦い」が勃発した。

 これが1999年に始まり2001年までつづいた「マカオ戦争」の本質だった、とされている(その余韻は2002年まで残った)。

 市街地で銃撃戦がおこった。

 南湖湾のお汁粉みたいな水に、大量の死体が浮く。

⇒番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(12)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。