番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(10)

 (7)で記載した数字に誤りがあったことを、某ジャンケット事業者から指摘された。

 まあ、わたしの書くものには、いろいろと不思議な読者がいるものだ、とあらためて思った。

 ――ところがマカオには、ライセンスをもっているジャンケット事業者が、最盛期(2014年)には220件以上もあった(現在では180業者前後となっている)。

 と書いたのだが、「現在」という部分はすでに1年古くなっていた。

 澳門博彩監察協調局の発表によれば、2016年にジャンケット・ライセンスが与えられたのは、法人121・個人20の合計141件だけだったそうだ。

 お詫びし、訂正する。

「蠅も虎も叩く」とする大陸の「反腐敗政策」によって、ジャンケット事業者には昔日の面影が、まったく消えてしまった。

 太陽城集団(サンシティ・グループ)と並んでジャンケット事業者の「双璧」と謳われた海王集団(ネプチューン・グループ)など、過去の栄光の片鱗さえ、現在ではうかがえない。

 香港交易及決算所(証券取引所のこと)で長期にわたり証券の「売買停止」処分を受けていたし、10対1の割合で「資本併合」をおこないながらも、海王集団の2017年2月7日の終値は、35セントだった。「資本併合」前の株価に直せば、1株3.5セント(日本円にすると約50銭)である。

 おそらく、今年のジャンケット事業者数は、2016年よりまた20~30%くらい減っていることだろう、と予測する。

       *         *         *

 ジャンケット産業の興隆およびその衰退の過程には、いくつかの大きな節目があった。

 最大のものは、もちろんその誕生だ。

 前述したように、1962年マカオにおける賭博独占権を、タイヒン(Tai Hing)社から譲渡されたスタンレー・ホー(Stanley Ho)率いるSTDM社は、大規模な顧客開拓に乗り出した。

 ここで実質的に「地下銀行」としての機能ももつ、ジャンケットのシステムが生まれた。

 手ぶらできた顧客が、勝てばその分は香港の銀行口座に積み立て、負ければ大陸で人民元で精算する、という方式である。

 マカオの「博彩」だけではなくて、世界中の大手カジノには中国系のジャンケット業者が入り込んでいた、といわれる。

 日本では、「カジノ仲介業」と呼ばれる業種だ。

 自前の部屋をもっていないものも含めれば、日本の業者もかなりいた。

 必要なのは、日本で仕切られる賭場(とば)の上客リストと、「追い込み」「切り取り」を可能とさせる能力なのである。それだけで、大金が転がり込んだ。

(債権回収やマネロン等で)反社会的勢力との結びつきが強い、としてネヴァダ州カジノ管理委員会がラスヴェガスのカジノからジャンケット業者を全面的に排除したのが、1990年代。

 これ以降、北米のカジノでは、ジャンケットではなくて、カジノ管理委員会の審査をとおった「エージェント」が「カジノ仲介業」をおこなうことになった。

「ジャンケット」と「エージェント」の違いを述べると、いくら紙幅があっても足りなくなるので省略する。本連載の「カジノを巡る怪しき人々(5)」https://nikkan-spa.jp/bakuchi/96708できわめて大雑把に説明している。参照されたい。

 その時々のアップ・アンド・ダウンがありながらも、中国および東アジアの経済成長と呼応するように、ジャンケット業界には右肩上がりの順風状態が長期間つづいた。

 ところが、イギリス政府による香港施政権の中国返還(1997年)、ポルトガル政府によるマカオ施政権の中国返還(1999年)がおこなわれ、ジャンケット業界には硝煙の匂いが立ちこめる。

⇒番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(11)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。