番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(12)

 このマカオ戦争でもっとも突出した利権の草刈り場となったのが、カジノに存在したジャンケット・ルームだった、といわれる。

 当時はカネをつかえばなんとかなったジャンケットのライセンス、およびそこから派生する金融屋や債権回収の権利である。

 まだ湯気を立てている斬り取られたばかりの生腕(なまうで)が、ジャンケット・ルームに投げ込まれた(2000年)。

 カジノ近辺の駐車場に、死体が積み上げられる(1999年~2001年)。

「マカオ戦争」で地下組織が三つ巴のドンパチをやっている間は、当たり前の話だが、カジノには閑古鳥が鳴いた。

 地元地下勢力と新旧(大陸および香港)の黒社会が共同で、金塊が埋まっている(と想像した)ガチョウの腹を切り裂こうとしていたのだから。

 イソップ寓話ではないが、ガチョウに死なれては、元も子もなかった。

 そこで、北京政府の権威を背景としたオモテ権力のマカオ政府が、ウラ社会の抗争に直接介入する。

 四者(政府・地元地下組織・香港三合会・大陸黒社会)間でどういう合意がなされたかは、諸説があって、現在にいたるまで正確なところはわかっていない。

 ただこの四者協議および合意で、「マカオ戦争」は一応の終結をみた。

 マカオに平穏の日々が戻ってきた。

 そしてそれ以降、マカオが「世界のギャンブル首都」として、想像もつかないほどの飛躍を遂げていく。

 人口60万人にも満たない小都市のカジノ群が、それまでぶっちぎりに「世界のギャンブル首都」だったラスヴェガスの約6倍の「売り上げ」を、のちに記録したのである。

 その大飛躍の源となったのは、なんと言っても、マカオでカジノ事業をおこなう許可を、マカオ政府が競争入札制とした点だろう。

 これで約40年間にわたりマカオの「博彩」を独占的に仕切ってきたスタンレー・ホー率いるSJM社(持ち株会社はSTDM社)の独占が崩れた。

 それまでSJM社が握っていた「博彩」利権とは、いったいどれほどのものだったのか?

 そもそも親会社のSTDM社は、マカオのGDPの40%強を創出したこともあった。

 それのみならず、行政権移譲前の宗主国であるポルトガルの政治にも、STDM社は深い影響力を有していた。21世紀初頭まで数代にわたり、ポルトガルの大統領は、スタンレー・ホーの息のかかった者が務めている(前か元の「マカオ総督」が、大統領に指名された)。

 2002年、カジノ・ライセンス競争入札制度の導入で、STDM社が握っていた巨大な影響力のかなりの部分がひっくり返された。独占ではなく寡占となったからである。

「マカオ戦争」から学んだマカオ政府は、このカジノ・ライセンス競争入札における法整備の際、それまで限りなく怪しげだったジャンケット業界にも、法規のメスを入れた。

 そうでもしなければ、ラスヴェガスを本拠とするアメリカ資本のカジノ事業者たちは、公明正大にマカオのカジノ・ライセンスの入札に参加できなかった。真っ黒けのシステムに直接関与すれば、ネヴァダ州カジノ管理委員会に、その北米ライセンスを取り上げられてしまう可能性がある。

 2002年の競争入札で、スタンレー・ホー率いるSTDM社が独占的に仕切っていたマカオのカジノ業界に、新しいライセンスを得た外資が、血刀を振りかざして殴り込んできた。

 その斬り込み隊の先鋒となったのが、シェルドン・アデルソン会長率いるラスヴェガス・サンズ(LVS)社である。

⇒番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(13)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。