番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(25)

 蛇足ついでに、付け加える。

 丁半、バッタまき、手本引き等の日本の伝統賭博ではなくて、ルーレット、ブラックジャック、バカラといった種目がある「欧米」流のカジノが、(もちろん違法だったわけだが)日本で最初にできたのは、現存する記録によれば、銀座だった。

 敗戦直後のことである。

 テッド・ルーインというアメリカ人がつくった。

 ルーインは、その昔にはアル・カポネとも関係があったと噂される元マフィアだそうだ。

 日本軍占領以前のマニラで、“リヴィエラ・クラブ”を経営し、大日本帝国海軍とも「ビジネス関係」をもっていた、とされる(Robert Whiting “Tokyo Underworld”)。

 無惨な敗戦を迎えたといえども、当時は帝国陸海軍の流れをうける者たちが、日本の権力構造の中枢に居座っていた。あるいは、現在でもその関係者の流れを汲む者たちが居座っている。

 そういった帝国陸海軍関係者との腐れ縁もあったのだろうが、テッド・ルーインは敗戦直後の一面焼け野原だった東京に勇んで乗り込み、堂々銀座にカジノをぶっ建てた。

 日本初の「欧米」流カジノは、“クラブ・マンダリン”と呼ばれる。

 初期の“クラブ・マンダリン”では、ディーラーとか黒服のほとんどを、フィリピンから米軍機で連れて来たという。

 1階は同名の「クラブ」、ここは酒と女の専門店。

 2階に上がると「カジノ」があった。

 誤解を招かないように書き加えておく。ルーインのカジノは、銀座8丁目の「銀座のカマキリ」こと「秀ママ」で有名な、「坐っただけで10万円、ションベンすれば20万」の“クラブ・マンダリン”とは、別物である。

 そういえば、「秀ママ」の“クラブ・マンダリン”は、閉めちゃったな。

 客たちはもう、日本の怪しげな連中の見本市、みたいなクラブだった。

 2億4600万円の脱税で有罪判決を受けていたのに、「秀ママ」はその「弁当持ち(=執行猶予)」期間中に、また1億7500万円の脱税で東京国税局に告発された。立派である。ちっとも懲りてない。さすが「銀座のカマキリ」の異名をもつおばちゃんだった(笑)。

 話を戻す。

 ルーインの“クラブ・マンダリン”は、ルーレット・ブラックジャック・バカラはもとより、本格的なクラップス(ハリウッド映画でよく登場する、客がサイコロを投げるゲーム)のテーブルまで備えた本格的な「非合法カジノ」である。

 客は主に、米軍関係者、占領下の日本でひと山当てようともくろむアメリカの怪しげな連中、日本の政治家および資産家、闇市の親分たちだった、と記録に残る。

 当時のカネで一晩に数十万USドルが動いた、というのだから、その盛況ぶりがうかがえる。

 警察の手入れが2回ほどあったらしいが、もちろん誰も逮捕されなかった。

 こういう「カジノ」の手入れの際は、その数時間前に警察から連絡があり、内部は空っぽとなるようにできている。

 大都市圏における非合法「カジノ」でも大バコへの手入れなら、2000年ごろまでは、だいたいこの方式でやられていた、と思う。

 いや、それ以降でも、弘道会と愛知県警がまだずぶずぶの関係だったころの名古屋では、錦の非合法「カジノ」が、堂々ラジオ・コマーシャルを流していたものな。

  ――カジノXX、まだ行ってないの?

 行かね~よ、そんなとこ(笑)。

 ちなみにテッド・ルーインは、のちに「右翼の巨魁」児玉誉士夫らとともに、赤坂の“ラテンクオーター”の共同出資者となっている。

 ここいらへんは、ルーインと旧帝国陸海軍関係者たちとの関係を、よく示すのだろう。

⇒続きはこちら 番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(26)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。