第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(3)

「それからジャッキーくんに誘われて、ヒラ場でバカラのカードを引いたのです。

 いつも大金を失うお客さんたちをジャンケット・ルームで見ていたから、こんな単純なルールのゲームをなんであんなに面白がるのだろうと不思議でしたが、その謎は解けました」

 と優子が言う。

「やったことはなかったの?」

 マカオのジャンケット職を始めてから6か月ほど。

 優子がそれまでギャンブルに手を出さなかった、とは良平には意外だった。

 まあ、自分の場合はマカオに着いて早々、厳しくも手荒い洗礼を受けたのだが。

「お客さんたちを見てきて、絶対にギャンブルはやらない、と心に決めていました。でも、マカオ特別行政区の議会が、今年(2019年)いっぱいで、カジノ関係者の勤務時間外のカジノ・フロア入場を禁止する条例を通したそうです」

 2018年12月に成立したばかりの条例だった。

 19年末をもって、春節三日間の祝日期間を除き、ゲーミング関連職員は、勤務時間外のカジノ・フロアへの入場が禁じられる。対象の5万4000人には、カジノ事業者職員のみならず、ジャンケットのスタッフも含まれている。

 そもそも不正防止の目的で、カジノ従業員は自社グループのカジノで博奕を打つことは禁じられてきた。

 だからカジノ従業員たちは、他社グループのカジノに行き、バカラの札を引いた。

 当たり前の話だが、カジノ従業員たちは業務上、客のとんでもない幸運を目撃する機会が多い。

 1万HKD(15万円)のバイ・イン(=現金でチップを購入すること)の客が、たった2~3本のツラ(=一方の目の連続勝利)で、100万HKD(1500万円)を持ち帰った。その間、わずか30分。

 それが起こるのを、1年365日毎日複数回見ている。

 もちろん幸運な客より、不運な客のほうが圧倒的に多いのだが、そこは無視する。

 ジャスト・オンリー・ワン・チャンス。

 その幸運を自分の掌で掴むことを信じ、カジノの従業員たちは他社グループのカジノに通うのである。

 一日に一回、カードを(配るのではなく)絞らないと、掌が震えた。冷房がぎんぎんに効いている室内でも腋下から発汗する。

 つまりいわゆる「ギャンブル依存」に陥った。

 マカオの大手ハウスであれば、新人のディーラーでも年30万HKD(450万円)あたりの基本給から始まるのだから、経済的に苦しいわけではないはずだ。ところが、内実は異なった。

 月6000HKD(9万円)の家賃すら滞納する者もいる。借金まみれとなってしまうカジノ従業員たちは結構な割合で居た。

 その借金絡みで、怪しい組織とゲーム・テーブル上での不正(=横シゴト)を試みるディーラーまで現れた。

 それゆえ、澳門博彩監察協調局(DICJ)が介入したのである。

 条例の施行は2019年12月の予定。

「ジャッキーくんに、やるならいまの内だ、すぐにできなくなってしまう、とそそのかされて」

 優子が恥ずかしそうに小さく笑った。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(4)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。