第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(4)

「で、どうだったの?」

 と問う良平。

「5000HKD(7万5000円)のバイ・インで、恐るおそる始めたのですよ」

 と涼子がつづける。

「グラリスはヒラ場でも、そんな金額のベットじゃスクイーズ(=カードを絞ること)はできませんよね。でも、別に選んだわけでもないのに、わたしが置くサイドが、勝利してしまう。どうせケーセン(=罫線=勝ち目が描く画)の読み方なんて知らないですし。もう、勝つサイドにベットしているのではなくて、わたしがベットしている方が勝ってしまう」

「いわゆる『ビギナーズ・ラック』というやつだな」

「ええ、ジャッキーくんもそう言っていました」

 優子がボトルから水を口に含んだ。

「5000HKDの元手が、あっという間に8万HKD(120万円)を超えちゃったんです。多分30分もかかっていなかったかと思います。ギャンブルは時間の感覚を圧縮するので、もっと長かったかもしれません。120万円ですよ、120万円。時給にすれば、240万円」

 優子が薄く笑った。

 そして状況の説明をつづける。

「8万HKDの勝利なんて、もう止めどきですよね。でも受けた刺激が強すぎて、わたしは席から立ち上がれなかったのです」

 そのとき、これは典型的なニコイチのケーセンだ、とジャッキーが言った。

 確かにプレイヤー・サイドは1目(もく)で飛んで、そのあとにバンカー・サイドが2連勝するケーセンが12行出ていた。これは一番大きく表示される『大路』でのものである。

 マカオのバカラ罫線は、通常4種類のものが同時に掲示されるのだが、『大路』だけなら、まったくの初心者でも読み取れた。

――もう、お腹いっぱい。

 と優子。

――それなら俺が行く。それも、どかんと行く。ここで行けなきゃ、いつ行くんだ。5万HKD貸してくれ。

 と優子に頼むジャッキー。

 ジャッキーはすでに原資を溶かしていて、手持ちはゼロだったそうである。

「おカネの貸借で、関係をこじられさせたくありません。短い間の経験だったのに、西麻布ではそいう嫌な例をたくさん見てきました。ジャッキーくんに貸すくらいなら、わたしが行ったほうがいい」

「行ったのかね?」

 と良平。

「はい、行きました」

「いくら?」

「バンカー・サイドでオール・インです。だって、プレイヤー側が1目出たばかりだったのですから」

 思わず、ひゅ~っ、という空気音が、良平の喉奥から漏れた。

 まだ20歳代半ばなのに、そして勝ち博奕なのに、オール・インとは、いい根性をしてやがる。

 しかし「いい根性」とは、この業界で「危険」と同義であった。

「勝っても負けても、この一手で止めますよ、とジャッキーくんに宣言しました。そうしよう、とジャッキーくんも同意しました。で、カードがわたしの手元に送られてきたのです。考えてみたら、そうなりますよね。わたしが圧倒的な賭金頭(タマガシラ)となってしまっていたのですから。でも、カードの絞り方なんて、わたしにはわかりません」

 優子は隣りのおじさんに、オナーを譲ろうとした。

 俺が作法を教えるからやってみろ、とジャッキー。

 優子は肚を決めて、カードに掌を伸ばした。

 そのとき初めて、自分は125万円という大金を、丁と出るか半と出るか、まったく不明なゲームの一手に賭けているのだ、と優子は気づいた、という。ギャンブルの恐ろしさである。

 突然、恐怖が優子の小さな身体を包んだ。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(5)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。