第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(5)

「息を止めて、バンカー側1枚目のカードを右上隅からゆっくりとめくりました。そこいらへんは、うちのバカラ・テーブルでのお客さんたちのしぐさの見よう見まねですね」

 もっとも、縦か横のサイドからカードを起こす日本からの打ち手が多いのだから、「斜めシボリ」はどちらかというと中国系の打ち手たちが多用する方法だった。

「怖い。恐ろしい。でもなんて言っていいのかわかりませんが、わたしの躰の芯みたいな部分が、きゅっと収縮し痺れてしまいました。そこからむず痒(がゆ)いものが、全身に向かって放射線状に発せられる。ぞくぞくしました」

 優子の頬にかすかな朱が差した。

 きっとその感覚は、「性的なるもの」に酷似していたからだったのだろう。

 1枚目のカードの右上隅にマークが現れた。

 ――アシ。

 とジャッキーが呟いたそうだ。

 ――もっと、深く。

 さらに折り込んだ。二段目は抜けている。セイピン(9か10)のカードではない。

 ――ハウスの手札をオープンさせたほうがいい。

 ジャッキーの忠告で、プレイヤー側のカードをディーラーに開かせた。

 リャンピンの5にモーピンの2がひっついて、持ち点7。

 ――アブネ、アブネ。

 とジャッキー。

 モーピンの方が3であれば、5プラス3で、8の「ナチュラル」成立。展開上プレイヤー側に、圧倒的な優位を握られてしまう。

 しかし、持ち点が7であれば、プレイヤー側に3枚目のカードは配られない(スタンズ)。と同時に最初の2枚のカードの和が5以下であれば、バンカー側には3枚目のカードが配られる。すなわちセカンド・チャンスの権利が生じた。

 ――2枚目に取り掛かってみて。

 とジャッキー。

 優子は、1枚目のカードの正体を最後まで探らずフェイス・ダウンの状態に置くと、コーチの指示に従った。

 バンカー側2枚目のカードには、すぐにフレームが現れて、これは絞り込む必要もなく、絵札だとわかる。

 ふ~っ、と吐息をつくジャッキー。

 ――敵が7とは厳しいけれど、ユーコなら行ける。二段目は抜けていたのだから、ここで欲しいのは横サイド中央にテンが現れるサンピンのカードだね。できる。やってみよう。

 ジャッキーの励ましに、優子の掌が、バンカー側1枚目のカードに戻った。

 息をつめて、カードをめくる。

 ゆっくりと、本当にスローに。

 むず痒さが、下腹部から全身に冷たく広がっていった。

 それが脳幹まで届いたとき、あっ、これが愉悦と呼べる感覚なのだ、と優子は気づいたという。

 絞り込んだカードの横サイド中央に、黒い影が現れた。

 ――よしサンピンだ。もうセカンド・チャンスはない。天国も地獄も、このカード1枚が決める。

 とジャッキー。

 横サイドに三点が現れるサンピンは、6か7か8のカード。

 そこいらへんは優子だって知っていた。

 片方のカードは絵札であるのだから、このカードが中央無点の6なら6対7でバンカー側の負け。中央一点の7が出て7対7のタイ。

 中央二点の8を起こせば、勝利。

 ――ここはケツの方から行った方がいい。

 と、このときジャッキーが助言したそうだ。

 ――えっ?

 と優子。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。