第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(7)

 ――チョンッ!

 とジャッキーの叫び声。

「チョン」というのは、「中(あた)り」を意味する広東語である。

 チャッ・シュウ・パッ、とジャッキーが言ったようなのだが、優子はその意味もわからないまま、テーブルに顔を埋(うず)めたそうだ。

「羞(は)ずかしいけれど、以上です」

 と頬を赤らめたままの優子が、彼女の生涯初のバカラ体験を、都関良平に坦々と報告した。

 きわめて個的な経験だっただろうが、それは、聴いている良平にも、鮮烈で強烈な印象を与えた。

「ビギナーズ・ラックだとしても、250万円相当の勝利とはすごかったな。でも、そこで打ち止められたの?」

 と良平が問う。

「止めました。もっと押そう、千載一遇のチャンス、とジャッキーくんが勧めたのですが、わたしはもうお腹いっぱいでした。あんなことを連続して経験したら、わたしは立ち上がれなくなってしまう。実際、しばらくは椅子から立てずに、立ち上がる時にはジャッキーくんの手助けが必要だったのですから」

 優子が薄く笑った。

「キャッシュ・アウトしたら、16万とちょっとのHKD(=香港ドル)でした。お祝いに、43階に昇って『天巢法國餐廳(ロブション・オ・ドーム=ミシュラン3星のフレンチ・レストラン)』で、お食事しました。バカラ卓で間違って大勝してしまったけれど、そもそもその日はジャッキーくんとのデートだったはずですから」

 と言ってから、

「普通なら数週間前からの予約な必要なお店が、直前の電話一本で席をつくってくれる。ジャンケットのお仕事って、いやなことも多いのですけれど、ああいう部分は、とてもいい」

 と優子が付け足した。

「よく打ち止められたなあ」

 と良平は感心する。

「だって、長い時間打ち続けたら、バカラって必ず負ける。それはうちのお客さんたちを見て理解していましたから」

「それはバカラだけではなくて、すべてそういうことになっている。だって、数学的に計算されそうなるよう出来ているのが、カジノで採用されるゲームなのだから。勝つつもりなら、短期決戦がカジノ賭博の本寸法だ。それを繰り返す。で、繰り返したの。いや、そういう経験をすれば、また行くよね」

 と良平は訊いた。

「最初の体験が強烈過ぎたので、じつはあれからまだ行っていないのです。行きたいのだけれど、怖い。なにか恐ろしいことが起こるような気がして」

 と優子。

「それはわたしの経験との違いだな。わたしの場合は、やはり最初のカジノで3万HKD(45万円)ほど勝利したのだけれど、それから仕事が終われば、自分が仕事場としていないカジノに毎日通ってしまった。もう、20年近くも昔の話だけれど」

 たった45万円分の勝利の経験が、2か月も経たないうちに2000万円を超す借金として残った。

 ジャンケットとして客には銀行のカネを回し、自分は同業のジャンケットからカネを引っ張ってバカラのカードを引く。

 まったくザマはなかった。

 苦い、無残な想い出である。

 でも、この部分は優子には伏せておいた。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(8)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。