第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(11)

 もっとも前年末に成立した法令によって、本年(2019年)末から、ジャンケット関係者を含むカジノ職員は、勤務時間以外にゲーミング・フロアに入ることが禁止されていた。

 マカオのカジノ関連法令の実施には、澳門博彩監察協調局(DICJ)の厳しい監視が必ずつく。

 したがってジャンケット業者が、「ミイラ取りがミイラになる」罠に落ちようとしても、今年末からは落ちられなくなってしまうのだが。

「初めてのバカラ体験で勝ったのは、16万HKD(240万円)弱ですよ。いただいているお給料がいくらよくても、わたしには100万HKD(1500万円)なんて大会参加費は、とても捻出できません」

 と優子。

「もちろんそんなことを要求しないさ。どうせキャンセルの穴を埋めなければならないのだから、参加費用は会社の負担となる。優子さんは、びた一文出す必要はない。難しいだろうけれど、その費用回収の可能性だけは残しておきたいんだ。博奕は参加しなければ、負けることも勝つこともない。だけど今度のバカラ大会では、なにもしなければ負ける、というケースだろ。それなら取り戻すチャンスだけはキープしておきたい」

 と良平。

「なるほど。それならば、気はラクですね。でもなんで良平さんじゃなくて、わたしが?」

「それは優子さんがまだ一回しかバカラをやったことがないからだ」

 優子の頬に疑問符が浮かんだよう、良平は感じた。

 ここは説明が必要だろう。

「知れば知るほど、負けるもの。これがわたしのカジノ・ゲームに関した体験的理解なんだ。もちろんゲームのルールはよく知らなくてはならない。ゲームにおける確率論も十全にわかっていなければならない。それでも、打ち手たちは勝てない。初心者はどうあれ、中級者や上級者はみな負ける。通い詰めるヴェテランともなれば、もっと負ける。それで、カジノ事業者たちは、おとぎ話のお城とかSFに出てくるようなビルをぼこぼこと建てられるわけだ」

「なんとなく、わかるような気がします」

 と頬から疑問符を解いた優子。

「優子さんは初体験を済ませたばかりのビギナー中のビギナーだろ。どうせ失う100万HKDなら、細いものかもしれないが、なんとか希望の糸だけは繋ぎとめておきたい」

「断るまでもないでしょうけれど、わたしはバカラの『条件』だって、うる覚えですよ」

 バカラでは、バンカー側の最初の二枚のカードの和とプレイヤー側の三枚目のカードの数字次第で、バンカー側に三枚目のカードが、配られたり配られなかったりする。これが「条件」だ。

 バンカー側の最初の二枚のカードの和によって、「3条件」「4条件」「5条件」「6条件」などと呼ばれる。1、2、7、8、9の和であるなら、「条件」は成立しない。

「それは承知している。というか、そうだから頼んでいるんだ。優勝あるいは準優勝したら、賞金の半額を進呈するよ」

 と良平。

「えっ? もし間違って優勝なんかしたら、わたしの取り分は400万HKD(6000万円)になってしまいます」

 優子の眼が輝いた。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。