第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(18)

 午後7時の決勝戦開始時間が迫り、良平が携帯で呼び出しを掛けようと思ったその時に、優子がフロアに現れた。

 鏡を見る時間もなく、ソファの上で目覚めるとそのまま下に降りてきたのだろうか。優子の髪は乱れたままだ。

「間に合ったあぁ~」

 と優子。

「ぎりぎりだ」

 と良平が受けた。

「エレヴェーターの中で、戦法が閃きました」

 と、良平の耳元で優子が秘かに囁いた。

「決勝テーブルでは、皆さんが飛ぶのを待っているだけではいけないのだとしたら、皆さんが飛ぶように仕掛ければいいのですよね。わたしが最初に飛んでしまうかもしれないけれど、最初に飛ぼうと四番目に飛ぼうと、結果は同じなのですから」

 と、自らに確認するごとく、優子が小声で呟く。

 戦術に関して、良平には答えようがなかった。

 博奕である。丁と出るか半と出るか、わかりゃしないのだ。

 時間となり、勝ち上がり6人が裏返したカードを引いて、席順が決まった。

 優子は六番ボックスの札を引く。

 ディーラーに向かって左端の席となった。

「口切りベット」は、各ボックス5回ずつあり、通常どのボックスでも、有意と呼べるほどのアドヴァンテージは生じないはずだ。

 勝ち上がり6名の席順は、以下のとおり。

 一番ボックス;表向きは広告会社経営だが、実際はヤバい筋への金融屋だろう百田。

 二番ボックス;この大会の言い出しっぺだった大阪の釜本。「地面師」関連の不動産屋である。

 三番ボックス;札幌のジャンケット業者・五島が連れてきた客で、才川と名乗る中年男。ウニ・ナマコ・カニなどの密漁業の網元だといわれている。

 四番ボックス;九州で風俗店のフランチャイズを経営する山段。

 五番ボックス;広告屋の小山田。今回絶好調で、予選は断トツで通過していた。

 決勝メンバーはどれもこれも、お天道さまの下を堂々と歩ける連中ではなかろう。

 そして六番ボックスが、主催者側が穴埋めに急遽起用した弱冠25歳の優子。

 予選敗退組の6人は、『天馬會』の別のテーブルで、バカラのカードを引いていた。

 チョイヤー、コンッ、といった掛け声が、決勝卓まで届いてくる。

 大会決勝戦といえども、所詮他人のカネだった。予選敗退組には興味なし。唯一重要なのは自分のカネである。

 まあそれが博奕場での「正しい生き方」だろう。

   *        *        *        *

「それでは皆さん、グッド・ラック」

 たったそれだけの良平の短い挨拶で、優勝賞金8000万HKD(1億2000万円)・準優勝賞金4000万HKD(6000万円)のバカラ大会決勝戦が開始された。

 一番ボックス・百田が「口切り」のベットで、ミニマムの1万HKDをバンカーを指定する枠に載せた。

 サイドこそ異なれど、順に二番・三番・四番・五番ボックスと、ミニマムでのベットがつづく。流れが見えてくるまでは、そんなものなのだ。

 六番ボックスの優子が、同席の打ち手たちの動きに注意を払わず、じっと自席前の羅紗(ラシャ)に積み上げられてある、トーナメント・チップのスタックに眼を落していた。

 しばらく間を置いて、優子は顔を上げた。

 大きく息を吸い込んだ優子は、眦(まなじり)を決すると、

「オール・イン」

 と静かに宣言する。

 そして手持ちのすべてのチップを、プレイヤーを指定する枠の中に押し出した。初手に、マックス・ベットの100万HKDである。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。