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元「笑点」メンバー・桂才賀、“受刑者を誰よりも笑わせてきた噺家”の半生に迫る

 今年5月に放送50周年を迎えた日本テレビ系の長寿番組「笑点」。その長い歴史の中で様々な落語家たちが出演してきたが、中でも異色のキャリアを持っているのが、80年~88年まで「笑点」に出演していた桂才賀だ。

元「笑点」メンバー・桂才賀、受刑者を誰よりも笑わせてきた噺の極意とは?

桂才賀

刑務所慰問1100回以上の落語家


 才賀氏は’83年(昭和58年)から現在に至るまでの33年間、刑務所慰問を精力的に行っており、93年には芸人慰問団「芸激隊」を結成。その慰問活動は日本全国、実に1100回以上に及ぶ。

 彼はなぜ受刑者を笑わせに行くのか。才賀氏の半生と、受刑者を笑わせる極意に迫った。

⇒【写真】はコチラ『貴重な刑務所慰問の様子(桂才賀氏提供)』
http://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1119904


師匠の一言で自衛隊に入った


――まず、才賀師匠が落語家になったキッカケからお聞きしたいです。

才賀:16歳で初めて落語というものを聞いて。それまでずっと器械体操をやっていて、将来は体育教師とかそっちの道かなと思っていたんですけどね。

高校を卒業する時に、「弟子入りさせてくれ!」と桂文治師匠の元へ行ったら、「軍隊に三年行って来い。それでも気持ちが変わらなければまたおいで」と言うわけですよ。“本当に行くわけねえ”と師匠は思っていたんでしょうけど、アタシは「わかりました。…3年行ってくれば弟子にしてくれるんですね?」って、すぐ自衛隊の募集事務所に行った。

一任期もちょうど3年で、「船に乗って世界中行けそう」という理由で海上自衛隊に入隊。約束通り3年の任期を終えて文治師匠のところに行ったら「あんた、誰?」だからね。

――無茶苦茶ですね(笑)

才賀:師匠のあの言葉は照れと驚きがあったと思うけどね。あの3年間で世界一周もできたけど、“仮釈放”もさせてもらえず、ある意味、刑務所よりひどかった。海の上だから脱走できない。自分にあてがわれたロッカーの内側に師匠の写真を貼って、カレンダーの日付に毎日「×」つけていましたよ。こういうのって、普通は女の写真だろうけど(笑)。

――そうして無事に弟子入り後、10年足らずで笑点メンバーに。

才賀:はい。6年間文治師匠のところにいたんですけど師匠が亡くなってしまい、日本一の噺家、古今亭志ん朝(ここんてい・しんちょう)に古今亭朝次の名で引き取られていた頃のことです。入門から7年目ですね。

「笑点」で若手大喜利というのが今でもBSでやっていますけど、あの頃は全国放送でやっていて、アタシはそのメンバーだったんですね。その時、レギュラーメンバーが“お父さん”、若手が“子供”としてやるネタが時折あって、アタシのお父さんは“ハゲタカ”の桂歌丸師匠とやりあっていた、“バケモノ”三遊亭小圓遊(こえんゆう)師匠だった。

でもある日、山形の地方公演中に小圓遊師匠がポックリ亡くなっちゃったんですよ。その二時間後にプロデューサーからアタシに連絡があってレギュラーに。若手メンバーが11ヶ月目でレギュラーに昇格しちゃった。シンデレラボーイっぷりから“小圓遊を殺した男”と言われているよ(笑)。

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受刑者1000人を前に1時間笑わせる

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