春一番さん3周忌。アントニオ猪木のモノマネは春一番がオリジナルの芸だった
春さんが危篤状態に陥ってから数日後の10月5日、ホンモノの猪木さんが病院に現れた。猪木さんは色紙に「今日笑って生きよう」とだけ書いていった。猪木さんがお見舞いに来てくれた翌日、春さんは集中治療室のベッドから起きあがった。奇跡が起きたのだった。このあたりのエピソードは春さんの自叙伝『元気です!!』にくわしく記されている。
“皆に見送られ最高だ
気がかりチョットだけお前の事
天国で見守るいつだってそうする”
“灰・灰・灰・拝・拝
灰・灰・灰・拝・拝
見送ってくれてありがとさんQ”
歌の後半にはこんなセリフがあった。
“花が咲こうと咲くまいと生きているうちが華なのよと、誰がが言った”
このセリフは猪木さんが「入れろよ」といったのでそのまま入れた。“花が咲こうと咲くまいと生きてるうちが華なのよ――”は猪木さんの好きな言葉で、猪木さんの著作のタイトルでもある。春さんは、子どものころからあこがれ、心から尊敬する“アントニオ猪木”からついに愛をもらったのだった。
病院のベッドでよこになっていたときは、もういちど元気になって自分の足で歩き、お酒がおいしく飲めるようになるとは夢にも思わなかった。体のこと、仕事のこと、カミさんとのこれからの人生を考えて、バーボンのストレートはやめてワインと焼酎をいただくようになった。
『チョットお先に天国へ』は元気になったからこそ歌えるラブソングだった。春さんは、猪木さんがいつも口にする「元気があれば何でもできる」をお祈りのように噛みしめながら生きていくことにしたのだという。
電話の向こう側ではいつも“カランッ、カランッ”という音が聞こえていたから、ワインと焼酎も飲むけれど、やっぱりバーボンのストレートもつづけていたのだろう。
春さんは『チョットお先に天国へ』の歌詞のとおり、奥さんを残して“ハイハイハイ”と先に逝ってしまった。大病を患って、しかも大酒飲みだったわりにはわりと生きたほうかもしれないし、体をちゃんとケアすればもうちょっと長生きできたかもしれない。
“アントニオ猪木のモノマネ”は、だれがなんといおうと、春一番のオリジナルの芸なのである。ぼくはそう考える。God Bless Him.
文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
※「フミ斎藤のプロレス講座」第67回
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『元気です!!!』 奇蹟としか表現できない感動の物語。 |
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