“二代目”レーザー・ラモン&ディーゼル出現――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第233回(1996年編)
“初代”ディーゼルと“初代”ラモンは、このときすでにライバル団体WCWのリングでnWoを結成していたケビン・ナッシュとスコット・ホールであることはいうまでもない。ディーゼルとラモンのリングネーム、ビジュアル・イメージ、商品コンセプトに関するすべての版権・知的財産権を保有するWWEは、あえてオリジナルとは別人の“二代目”をデビューさせることでその法的権利をアピールする作戦に出た。
“にせディーゼル”“にせラモン”のTVデビューを仕掛けたのはタイタン・スポーツ社(WWEの親会社)が当時製作していた週4本のテレビ番組のエグゼクティブ・プロデューサーの立場にあったJRことジム・ロスだった。ビンス・マクマホンはこの時点はまだ“ロウ”の実況アナウンサーというポジションを演じていたため、こういった政治的な場面で“憎まれ役”になることはあまりなかった。
観客はこのディーゼルとラモンの“二代目”に対し、予想どおりといえば予想どおり、圧倒的な拒否反応をみせた。デビュー戦となった9・23“マンデーナイト・ロウ”ハーシー大会ではやや冷ややかだったライブの観客のリアクションが、TVデビューから数週間後には大ブーイングに変わった。
ここでいう大ブーイングとは、ヒールに対するリスペクトの気持ちをこめてのそれではなくて、どちらかといえば“帰れコール”に近いネガティブな拒絶の意思表示だった。
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