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ビンス・マクマホン発案のAOWってなに?――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第232回(1996年編)

WWE・RAWマガジン

ビンス・マクマホン考案の新路線AOW(アダルト・オリエンテッド・レスリング)の売りものはゴールダスト&マレーネに代表されるようなオトナ向けキャラクターだった(写真はWWE・RAWマガジン表紙より)

 夏のスーパーイベント“サマースラム”をショーン・マイケルズ対ベイダーのタイトルマッチで乗り切ったWWEは、秋の新学期シーズンの新路線として観客層の拡大、もっと正確にいえばテレビ視聴者の“多層化プロジェクト”に着手した。

 ビンス・マクマホンが発案した新路線はAOW(アダルト・オリエンテッド・レスリング)。ロック・ミュージックにAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)というサブ・ジャンルとその主張があるように、WWEのプロレスのなかに“ちょっとオトナ向けのコンテンツ”を提案しようという試みだった。

 1996年当時のアメリカのプロレス・シーンはWWEとWCWの2大メジャーによる事実上の市場独占時代で、このメジャー2団体に対するオルタナティブとしてインディーよりも大きく、メジャーよりはちいさいECW(エクストリーム・チャンピオンシップ・レスリング=ポール・ヘイメン代表)が存在していた。

 WWEとWCWの闘いは、それぞれの全米ツアーのライブの興行収益の売り上げ競争ではなくて、毎週月曜夜の同時刻に別べつのチャンネルでオンエアされていた“WWEマンデーナイト・ロウ”と“WCWマンデー・ナイトロ”のふたつのTVショーの視聴率争いだった。これは後発のWCWがテレビ局を親会社に持つ団体だったことと深く関係している。

 巨大なメディア資本をバックにつけたプロレス団体(WCW)がテレビ番組主体の組織運営をスタートさせたことで、WWEもまた――従来の興行収益ではなく――テレビ番組づくりをプライオリティーとした経営システムへの軌道修正を余儀なくされた。

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ビンスがプロデュースしようとしたAOW路線

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