ウルティモ・ドラゴンは外国で暮らす日本人レスラー――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第268回(1997年編)
――いまからちょうど20年まえ、ウルティモ・ドラゴンはWCW“マンデー・ナイトロ”の登場人物だった。時代はWWE“ロー・イズ・ウォー”対WCW“マンデー・ナイトロ”の“月曜TVウォーズ”のまっただなか。「外国で暮らす日本人レスラーって、いなくなったでしょ」と語るウルティモはこんなことを考えていた。1997年4月のコラムを再録しておとどけする――。
ウルティモ・ドラゴンは、スーツケースひとつでどこへでも出かけていっちゃう国際派スーパースターである。生活の場はメキシコシティーで、活動エリアはメキシコ国内とアメリカのWCW。月曜夜のプライムタイム番組“マンデー・ナイトロ”に出演するため、週にいちどずつメキシコ国境を渡ってアメリカ合衆国サイドに入ってくる。移動の足は国際線のビジネスクラス。近いところで2、3時間、ちょっと遠いところだと6、7時間のフライトになる。
“日本国”の紺色(当時)のパスポートを携帯してメキシコとアメリカを行ったり来たりしているジャパニーズなんて、そんなにたくさんはいないだろう。国籍は日本で、メキシコの永住権を証明するIDカードを持っていて、パスポートにはアメリカで働くための“就労ビザ”のスタンプがしっかりと押されている。入国審査官に「仕事はなにか」と問われれば、ウルティモはスペイン語で「ルチャリブレ」と答える。
長旅はちっとも苦にはならない。アメリカはたしかに広いけれど、空の上を飛んでいるぶんにはそれほどの距離は感じない。WARのリングに上がっていたころは毎月、太平洋を横断していたのだから、それにくらべればどうってことはない。メキシコ国内でもっぱら地方巡業をしていた新人時代は、ポンコツの乗り合いバスに5時間も6時間も揺られながら田舎の試合会場に向かうなんてことはあたりまえだった。
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