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永田裕志の“WCWマンデー・ナイトロ”時代――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第267回(1997年編)

永田裕志

いまから20年まえ、アメリカ武者修行の旅に出た新日本プロレスの永田裕志。遠征先はメジャー団体WCW。“月曜TVウォーズ”のまっただなかに飛び込んでいった(Photo Credit: LINDA ROUFA)

――いまから20年まえ、新日本プロレスの永田裕志は単身、アメリカ武者修行の旅に出た。遠征先はメジャー団体WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング=ジョージア州アトランタ)。当時まだ29歳だった永田が内側から目撃した“月曜TVウォーズ”の現実とは。1997年9月のコラムを再録する――。 「自信はありますよ。ええ、自信はめっちゃくちゃありますよ」  永田は、鼻の穴をふくらませて、大きくうなずいた。どんな自信かというと、新日本プロレスのリングで“あのへん”のポジションをキープする自信だ。“あのへん”とは、海外武者修行から帰国したあとの天山広吉が立ったあたりを指しているのだろう。武藤敬司、橋本真也(当時)、佐々木健介、あるいは蝶野正洋のnWoジャパン派閥とあたりまえのように試合ができる“番付”である。  新日本プロレスのロゴが入ったメッシュ地のオフィシャルTシャツを着た永田は、なんとなく所在なさそうにバックステージをうろうろしていた。このまままっすぐ歩いていけば円形のアリーナをぐるっと一周できる無機質なグレーのコンクリートの通路がどこまでもつづいている。  選手、スタッフが出入りするホールにはケータリングのテーブルがセッティングされていて、ミネラルウォーターやコーヒーやソフトドリンク、軽食などが用意されている。そのへんをうろうろしていると、むずかしい顔をしたリック・フレアーがすぐよこを急ぎ足で通り過ぎていったりする。
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日本でトップグループに入るには、ヘビー級の体が必要
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