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ストーンコールドの“ビンス暴行”手錠事件inNY――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第266回(1997年編)

“ストーンコールド・トゥルース”表紙

“ストーンコールド”スティーブ・オースチンがビンス・マクマホンWWEオーナーに初めて“暴行”を加えたのは1997年9月の“ロウ・イズ・ウォー”ニューヨーク大会。やがてこのふたりの因縁ドラマが“ロウ”の定番シーンとなっていく(写真はストーンコールドの自伝本“ストーンコールド・トゥルース”表紙より)

 “ストーンコールド”スティーブ・オースチンが十八番スタナーでビンス・マクマホンを失神KO――。

 “ローマは一日にして成らず”ではないけれど、定番シーンもまた一夜にして定番シーンにはならずである。

 ストーンコールドが月曜夜の連続ドラマ“ロウ・イズ・ウォー”の番組内で初めてビンスWWEオーナーに“暴行”を加えたのは1997年9月22日。WWEの本拠地ニューヨーク・ニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンでおこなわれたTVテーピングでのワンシーンだった。

 WWE“ロウ”対WCW“マンデー・ナイトロ”の毎週月曜の番組視聴率争いはこの時点ではまだWCW有利の展開がつづいていたが、それでもニューヨークをはじめとする東海岸エリアでのWWE人気は絶大なものがあった。

 ガーデンでは初の“ロウ”収録となった同大会は、アリーナ内に大型セットと入場ランプを設営したテレビ番組仕様のレイアウトに1万4615人の大観衆を動員。興行収益25万8339ドル、グッズの総売り上げ9万7720ドルというPPVイベント並みの数字をはじき出した。

 9.22“ロウ”のハイライトは、ストーンコールドとビンスによるリング上でのディベートだった。8月の“サマースラム”でオーエン・ハートとの試合中に首を負傷(ケイ椎損傷)し、全米ツアーを欠場中だったストーンコールドは、この日、TVマッチ第5試合にラインナップされたオーエン対ブライアン・ピルマンのインターコンチネンタル王座決定トーナメント決勝戦に乱入。戦線離脱の原因をつくったオーエンに襲いかかった。黒いTシャツ姿での定番の乱入シーンはこの時代に生まれたものだった。

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実況ブースに座っていたビンスはリングにかけ上がり

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