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ウルティモ・ドラゴンは外国で暮らす日本人レスラー――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第268回(1997年編)

 パートナーは新日本プロレス合宿所時代の先輩たち、佐野直喜(現・巧真)と畑浩和(引退)で、ウルティモはいきなりセミファイナルのリングに立たせてもらった。ウルティモ・ドラゴンに変身したのはそれから4年後のことだった。  メキシコのレスリング・ビジネスは不景気のどん底なんだそうだ。若くて才能のあるルチャドールたちは、ドルの稼げるアメリカ市場への脱出を試みている。ドラゴンの仕事は、WCWでの試合とメキシコ国内での選手育成。ナウカルパンの道場ではルチャドールをめざすハポネス(日本人)の若者たちがデビューを心待ちにしながらトレーニングに明け暮れている。  マスクをかぶるのは一人前になってから、がウルティモの持論。獣神サンダー・ライガーもザ・グレート・サスケもハヤブサもはじめは素顔だった。マスクが似合う顔つきになるには、身も心もルチャドールになることである。 ――ウルティモ・ドラゴンはあれからさらに20年、旅をつづけている。ナウカルパンの闘龍門道場から巣立っていった日本人選手は100人を超えた。WCW崩壊後、WWEのリングに上がっていた時期もある。イングランド、イタリア、スペインといったヨーロッパ・マットにも足を伸ばすようになった。もちろん、メキシコとアメリカと日本を行ったり来たりするのが1年を通じての日常。ウルティモのルチャリブレ生活はことしで30周年を迎える。
斎藤文彦

斎藤文彦

※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦 イラスト/おはつ ※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
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