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震災から6年…東京に住む福島出身女性に刻まれ続ける“被災タトゥー”とは?「あと何年『地震大丈夫だった?』と聞かれ続けるんだろう」

 東日本大震災から6年が経過した。特に今週、テレビや新聞は自然災害と原発事故をこぞってとりあげている。「風化を防ぐ」という6年間使われ続けている文言に限って言えば、新聞や雑誌を眺める限り、まったく風化する気配はない。

福島第一原子力発電所 また、今も避難を強いられている住民、津波で家族を亡くした遺族のインタビュー記事が掲載され、その悲劇を共有し、後世に残していく取り組みがなされている。

ずっと被災者扱いの“被災タトゥー”の正体


 だが、被災者と一口に言っても、彼らの住んでいた地域、年齢、被災状況、家族構成などによってその悲劇の内実はまったく異なる。被災者の数だけ被災の苦しみがあるため、それを簡単に共有することは極めて困難な作業といえよう。

警戒区域 震災から7年目を迎え、今回日刊SPA!取材班が話を聞いたのは、現在東京で生活する福島出身の20代の女性3人。地元が被災したり、原発事故で警戒区域に指定された彼女たちが日常生活で感じる被害は、これまでメディアで報じられているものとはまた違ったものだった。

 彼女たちが東京で暮らしていて感じる“被災タトゥー”とも言える被害を語ってもらった。

「みんな私を100%福島出身者にしたがる」


新妻沙也加さん(仮名・25歳・原町高校卒)

 被災当時は仙台市青葉区の専門学校に通っており、現在は中目黒の家賃9万円の1Kマンションに住んでいる沙也加さん。

「そもそも、震災のときは福島にいなかったんですよね。たしかに仙台でも断水とか停電とかあったけど…」

新妻沙也加さん(仮名) 彼女が3月のこの時期の“福島ネタ”に戸惑うのも無理はない。実は新妻さん、小学校まで東京都三鷹市で過ごしており、東電の関連会社に勤める父親の転勤で原町(南相馬)に引っ越してきたのは中学生のころ。小学校まで東京、中学高校が福島、専門学校で仙台、そして現在は東京。

 つまり福島だけが彼女のアイデンティティを形成しているわけではないのだ。

「福島で過ごしていたのは中高時代だけなので、そこまで思い入れはないのに、みんな私を100%福島出身者にしたがる。“福島大変だけどがんばってます感”をずっと背負わされ続けているかんじです。特に私は福島は福島でも、聞いたことない町出身の人と違ってメディアで幾度となく報じられてる南相馬出身なので『めっちゃ被災者じゃん!ヤバ!』っていつも言われて。自分が被災者であるイメージは絶対に払拭できないんですよ。でも、別にもう地元に帰る気もないし、原発とか賛成でも反対でもないし、そもそも政治的なスタンスを持たないというスタンスなので真面目な話とかされると困るのが本音です」

通行止め 彼女は一生取れることのないタトゥーのように“被災者”であることを背負わされている。そして、その“彫り”は3月のこの季節、特に深くなる。

「別に中目に住んでて風評被害とか全然聞かないし、たまに渋谷駅前で『原発ダメ!政府ウソつき!』みたいなビラ配ってるおばさん見てもなんとも思わない。それよりマック赤坂今日もがんばってんなって思うほうが強いですよ(笑)」

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地元が好きじゃないから東京に出てきてる

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