アルコール依存症で死にかけた僕。なぜまた飲んでしまうのか
親の目の前で死にかけたこともある。母親と妹と3人で旅行に出かけたときのこと。早朝から、母親の運転する車のなかで僕はウォッカを飲んでいた。
旅行先の福井の東尋坊についてからも飲み続け、母親の目の前で崖から足を滑らせそうになったのだ。
宿に着いてからも飲み続けたが、深夜に酒がなくなった。
僕は宿を抜けだして酒屋を探しまわり、途中で側溝にはまって顔面を打ちつけ、前歯を折った。血まみれのTシャツのまま酒屋でウィスキーを買って、部屋に帰っても飲み続ける僕に母親は言った。
「お願いやからお酒やめて」
その旅行の帰りに、僕は自助グループA・Aのミーティングに参加した。
朝から晩まで酒を飲み続ける生活を2年近く続けていた僕の、その頃の頭の中は、真っ暗だった。飲み続ける期間が長引けば長引くほど、記憶が失われ、過去が遠ざかっていく。
同時に未来がかすむ。前を向いても後ろを振り返っても真っ暗。自分がどこにいるのかがわからない。だから自分を消したくてまた飲んでしまう。
死ねば楽になれると思っていた。でも死ぬことが怖くてたまらなかった。まだちゃんと生きたことがなかったのだから。
こんな話を、僕はそのミーティングで繰り返し話した。
A・A(アルコホリック・アノニマス=無名のアルコール依存症者たち)は、アメリカ発祥の自助グループだ。その発足は100年以上も前のこと。
アメリカ人のアルコール依存症者が、同じような境遇の仲間と出会って、お互いの経験を語り合ったのがきっかけだという。
どれほど酒をやめたいのか、どんなときに飲みたくなるのか、酒でどんな失敗をしてきたのかなどなど。そのうちふたりは酒を飲まずに生きることができるようになった。
彼らがアルコール依存症から回復していったプロセスは体系化されて、彼らのようになりたいと願うアルコール依存症者によって自助グループA・Aが発足した。
やがて日本にも波及し、いまも毎日のようにどこかの教会でミーティングは開かれている。
酒を飲みたくなる19時頃に当事者たちが集まって、酒の上での失敗談や、酒を飲みたくてたまらない気持ちを話し合う。人の話を聞くうちにそれが自分のことのように思えてくるようになり、そもそも酒を飲みたくなる原因となるモヤモヤを言葉にすることで、飲酒欲求から距離がとれていく。
A・Aは医療機関ではない。あくまでも当事者たちの集まりなのだ。
アルコール依存症者たちの会合に参加してみて
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