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大事なのはパワハラの定義ではない…日本体操協会パワハラ問題“残念な結末”に思うこと/鴻上尚史

パワハラの定義より選手がどう感じたか

 でね、一万歩譲って、塚原夫妻は良心的な指導者としてただ「速見コーチから引き離したかった」としましょう。  それでもね、18歳の女性と権力者2人の3人だけで個室に入って誰も第三者を立ち会わせなかったこと。  自分自身が体操クラブを経営していて、担当コーチが不適格だと言うことは、そのまま自分の体操クラブへの引き抜きだと思われる可能性があること。  そういう配慮がまったくないまま、話をしているのです。なおかつ、速見コーチとの関係を宮川選手のために切りたいのなら、呼ぶべきは宮川選手ではなく速見コーチです。個室に呼んで、きつく指導すればいいのです。  これは、あきらかにパワハラです。 「家族でどうかしている、宗教みたいだ」という発言を71歳の権力を持つ女性が18歳の女性にしているんです。本人だけじゃなくて、家族まで否定しているんです。これはもうアウトでしょう。 「いじめ認定」の時もそうなのですが、生徒が「いじめられていた」と言っているのに、平気で「いじめはなかった」という結論を教育委員会や第三者委員会が多く出します。  訴訟になって勝つか勝たないかという基準ではなく「生徒がどう感じたか」という教育現場の原則が忘れられているんじゃないかと感じます。  今回も同じです。訴訟としてのパワハラの定義ではなく、「選手がどう感じたか」という基本を忘れていると思うのです。 「パワハラとは何か?」という議論も起こっているようです。 「パワハラを受けたと言った者勝ちか」と疑問を呈する人もいます。  スポーツの世界は、特に昔は「ガッツ、根性、気合」で、「熱血鉄拳指導」なんてよくありました。  選手との濃密なコミュニケイションが取れていた時代は、選手も多くが受け入れたのだと思います。  でも、かつてのような深く濃い人間関係は少なくなりました。酒の席に無条件でつきあう後輩も減ったし、プライベートを優先する人が増えました。そういう時代には、濃い「熱血指導」はパワハラとして受け入れられないだろうし、適切な関係を作るための言葉が必要だと思うのです。
ドン・キホーテ 笑う! (ドン・キホーテのピアス19)

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この世界はあなたが思うよりはるかに広い

本連載をまとめた「ドン・キホーテのピアス」第17巻。鴻上による、この国のゆるやかな、でも確実な変化の記録

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