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54歳で発達障害だと発覚した男の“その後”

一度は「社会をなめるな」と突き放された病院に連絡を取る

 石山さんは12月、障害者手帳と自立支援医療という制度の申請を行った。7年前に初めて診察を受けた際に「社会が怖いなんてなめるな」と怒鳴られた病院に連絡を取り、再訪した。尻込みしながらも連絡を取ることができたのは、最近になって受けた「認知行動療法」の賜物だった。石山さんは、自分自身が役所や病院に連絡を取るのを恐れている理由を深掘りし、「手続きがどのように進むのか見えないことへの不安感」があることを発見した。  見えない不安は、聞いて“見える化”すればよい。以前はその不安を表現する言葉を持ち得なかった石山さんだったが、現在は「発達障害だからわかりません。教えてください」と助けを求めるようになった。  役所で聞いてみると、7年前に怒鳴られた医師と接する必要はまったくなく、受け付けのスタッフに初診日を確認するだけで終わる手続きだった。これらは書面で提出する必要すらもなく、初診日だけ確認が取れれば、後は役所が各所に連絡を取って手続きを進める流れとなったそうだ。これにより、障害者手帳と自立支援医療の申請を同時に行うことができた。  またその後、石山さんは生活保護を申請し、現在は保護費を受給して生活している。発達障害の診断を受ける前は介護や抑うつ状態があったにも関わらず、役所では「働きましょう」とせっつかれるばかりだった。しかし診断を受けてから担当課が移され、スムーズに生活保護の申請が通り、ようやく生活の目処が立った。  今後は、就労移行支援事業所への通所や障害者雇用での就職活動を検討しているという。仕事に対しての不安はあるものの、特性を理解し、適した環境に入ることができればこれからも仕事をしていくことができると石山さんは考えている。  前述の「認知行動療法」で石山さんが発見した不安感はもうひとつあった。それは「もしも知らないところで父親が借金を作っていたとしたら、『お前が払え』と言われるのではないか」という恐れだった。石山さんの知らないうちに土地を購入し放置していた父のもとを、国土交通省の職員が訪ねてきたこともあった。当時は家に金がほとんど残っておらず、泣く泣く弁護士に相談して対応していたが、他にも父に石山さんが関知していない借金があるのではないか、と彼は思っていた。  前回の記事が出たときに「父も発達障害だったのではないか」というネット上での指摘があったことに対し、石山さんは「発達障害だったんだろうと思っています。でも絶対病院には行かなかったでしょうね」と話す。父の生きた時代は、精神科には鉄格子がめぐらされているようなイメージが流布されており、彼はそうしたイメージを毛嫌いしたのではないか、という。  ほかにもさまざまなこじれを抱えていた親子だったが、石山さんは2年以上にわたり、1人で父の介護にあたっていた。毎日、深夜にはうめき声に耳を澄ませて様子を窺い、たんの吸引もした。仮眠のあと朝起きると、自身のことを差し置いて先に父の身体を蒸しタオルで拭いた。いつもか細い声で「ありがとう、ありがとう」と言う父に対して石山さんは「欠点はあっても親は親だ」と感じ、ゆるやかに情が湧いてきた。医師の宣告した余命よりも大変長く生きた父を、石山さんは誇らしく思っている。  現在は、相続放棄の手続きを進めている。父に借金があったかどうかは今となってはわからない。しかし確かなことは、石山さんには責任がないということだ。裁判所から相続放棄の詳細について問い合わせがあったが、診断を受けたばかりで心がせわしなく揺れ動く最中でも、機関の手助けを借りながらきっちりと回答を済ませた。手続きは通るという見込みを伝えられている。  石山さんは今回の取材に際し、自身の診断書や心理検査報告書を筆者のために自らコピーして持参してくれた。取材の最中には身振り手振りも用いながら、豊かな表現力で自身のことを語る。そして取材が終わって別れる際には必ず帽子を取り、筆者に向かって深々とお辞儀をする。  平成最後の年越しだ。石山さんは「発達障害の当事者」として迎える最初の年越しに向け、雲間の光を探して歩き始めている。 <取材・文・写真/えんどうこうた(@kotart90)>
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