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空のボトルを眺めて7時間…スナックに出没する“氷大好きおじさん”の大迷惑な生態

 前回、トーククラッシャー中村について書いたが、磯山は彼以上のクラッシャーである。まず、どういう状況でどんな話をしているかというのが彼にはわからない。麻雀の話をしている人に「最近彼女は?」と訊いたり、プロ野球の話をしている時にメジャーリーグの話をしたりする。空気が読めないのだ。しかも、すべての口調が何故かキレ気味なので、話しかけられた人は皆引いてしまう。  夜も更けて満席になった頃、久しぶりに顔を見る常連客が一人来たが、座れないので帰すはめになってしまった。酒も飲まずに空のボトルを振って居座る磯山に、誰もが「あなたが席を空けるべき」と思っていただろう。それくらいの空気は読んでほしかった。  前回も書いたが、スナックというのはお客みんなで作り上げていく空間だ。  ホームではあるかもしれないが、家ではない。家族ではない色んな人間がいるのだから、お互いに譲り合ったり、最低限の空気は読まなければならないとわたしは思っている。それができるのがスマートなお客と言えるのだが、まぁこれが案外少ない。 「あの人、ずっとボトル振ってますね。酒、好きなんすねぇ~」  来たばかりの新規の若者が磯山を見てそう呟いた。すると隣の常連客が、 「いやいや。違うんだよ。あの人はね、酒じゃなくて氷が大好きなおじさんなんだよ」  と茶化すように言ったのが妙にツボに入り、わたしとマスターはひとしきり笑った。  それ以降、身内の間での磯山のあだ名は「氷大好きおじさん」になり、彼が一生懸命氷を山盛りにする姿を眺めては心の中で面白がって、ムカつきを緩和させている。何がしたくてスナックに来ているのかはよくわからないが、結局彼も孤独を抱えている寂しい奴なんだと思える程度には穏やかな心で眺められるようになった。相変わらず面倒くさいし、来るとテンションが下がるけど。「氷大好きおじさん」を命名してくれた常連の川越さん、ありがとう。  その日、磯山がようやく席を立ったのは午前三時。酒も飲まずに七時間という見上げた図々しさである。そして会計はカラオケ代込の三千二百円。笑っちゃうでしょ。願わくば、世の中の夜遊び人たちが「氷大好きおじさん」になりませんように。〈文/大谷雪菜 イラスト/粒アンコ〉 ― 酔いどれスナック珍怪記 ―
(おおたにゆきな)福島県出身。第三回『幽』怪談実話コンテストにて優秀賞入選。実話怪談を中心にライターとして活動。お酒と夜の街を愛するスナック勤務。時々怖い話を語ったりもする。ツイッターアカウントは @yukina_otani
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