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スナック以外に行き場のない老人は悲しい悪意を撒き散らす――酔いどれスナック珍怪記

 男には、職場と自宅とは別にもう一つの帰る家がある。そう、地元スナックだ。商談、接待など、ビジネスライクな集いとは一線を画したこの場所で、素の自分を隠そうともせず、やおら昭和歌謡を吟じ、時折狂い咲く中年の色恋に盲進する。そんな酔客たちとカウンターを隔てて接するのは、生きとし生ける者の素顔を覗くのが生業の女怪談ライター。酒場観察日記、堂々公開! 酔いどれスナック珍怪記

酔いどれスナック珍怪記 vol.1 さみしい奴ら

「バカヤロー!俺はもう今月飲みに来ねぇからな!」  一人の老人がそう言って店を出て行った。足取りは覚束ない。いつものことなのでみんな特に気にしないが、誰もが(今月ってもうあと3日しかないやんけ……)と思っている。 「どうも~お気をたしかに~」  マスターもわたしも慣れっこなので、ニヤニヤ笑いながらおちょくるように見送った。  スナックではこんなことしょっちゅうだ。  酔っ払いというのは赤ん坊と一緒だなあと思う。突然キレて、突然わめき散らし、突然泣いて、突然寝る。そしていまいち日本語が通じない。しかも大抵は赤ん坊のように愛らしい見てくれでもなければ無垢でもない。 「中村さんもさ、寂しいんだよ、要は」  常連客の一人が困ったように笑いながらそう言った。中村とは先ほど出て行った老人のことである。 「仕事もやってないし、家でも一人だし。誰かと喋りたいんだよ」  そんなことはわかっている。スナックに来る人間というのは、基本的にみんな人との温かい会話に飢えている。隣のスーパーで買えば1400円程度のウイスキーにわざわざ4000円以上払ってボトルキープをして飲みに来るのだから。みんなそれぞれに違ったキャラクターをしているが、家に帰りたくない、夜を一人で過ごしたくない寂しがり屋の人たちなのだ。 「俺はそんな中村くんを観察しているのが楽しいけどね」  端の方の指定席に岩のように鎮座していたもう一人の常連客が口を開く。出た出た。そうやって、俺はスナックの人間模様を観察するのが好きなだけで別に寂しくはない、的なニュアンスを常に含ませている田中~! そういうアンタが一番寂しがり屋なのめっちゃ知ってっからな~! と言いたいのをこらえて。 「まったく。長い付き合いなんだから、ちょっとは中村の相手してあげればいいのに」  と大げさに口を尖らせてみせる。 「やだよ。めんどくさい」  そう。面倒くさい。  中村という老人は一言でいうと「めんどくさい」老人なのだ。見た目はコオロギに似ている。色の入った眼鏡と一年中来ている茶色い釣りベストがそう思わせるのだろう。  彼はかれこれ十年以上、スナックに来る以外家に引きこもっているので曜日や時間の感覚もなければ人との距離感も掴めない。だがかなりの読書家で無駄に知識はあるので、どんな会話にでも謎のタイミングで入ってきてしまう。先ほども、数人のお客達と海外ミステリー小説の話で盛り上がっていたのだが、突然 「お前たち、『柳生十兵衛死す』は読んだか」  と山田風太郎をぶっこんできた。彼の話題認識はざっくりとしている。みんなが海外ミステリーの話をしているから海外ミステリー作品の話題で入ってくる、というほどの細やかな配慮はない。本の話をしているから本の話題を出して合わせてやった、くらいに思ってるんだと思う。 「いやぁ、読んでないですね~」 「『魔界転生』と『甲賀忍法帖』くらいは読みましたけど」  みなさん大人なので一応話を合わせてあげるのだが、ここで山田風太郎の話が盛り上がるわけではない。中村の次の言葉は 「いやぁ、俺は昨日ケーブルテレビで『浪人街』観たんだけどよぉ~」  全然違う話じゃねぇか。一体何のための山田風太郎だったのか?!  その後も、他の人たちの釣りの話に割り込んでいって 「ハマチは出世魚だから最終的に鯛になるんだ」  などと耄碌老人さながらのトンチンカン発言をするなどしてあちこちの会話をぶち壊して回っていた。釣りベストは着ているが決して釣りをやるわけではない。彼によって会話を中断させられた人々はその後、途方に暮れたようにしばらくの間静まり返る。トーククラッシャー中村。
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訳あり中年男女はデュエットし始めた
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