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<純烈物語>ホスト兼プロレスラーも候補だった「幻の純烈メンバー」たち<第11回>

「ホストだろうがプロレスラーになろうが、純烈のメンバーにもなってもらいたかった」

 ナンバーワンホストとして崇められるようになっても、美月はヒーローモノのイベント会場に来てTシャツ姿の清水一星に戻り、グッズを売った。そこから「すいません、同伴があるんでお先に失礼させていただきます」と頭を下げて出勤していった。  俳優出身者は一途すぎるところがあり、セルフプロデュースがうまくできないケースを酒井は見てきた。美月は、自分がなりたいと思うものを達成させるために何をすべきかを見極めるプロデュース力と、行動力を備えていた。 「根性あるなと思いました。ホストになるのって、やっぱりちゅうちょするものじゃないですか。でも一星はそこにも突っ込んでいった。明治大学を卒業して、宅建(宅地建物取引士)の資格も取得しているような男ですよ。ホント、ノドから手が出るほど欲しかったですね。ホストだろうがプロレスラーになろうが、純烈のメンバーにもなってもらいたかった」  純烈のスタート地点である三軒茶屋のスタジオにおけるボイストレーニングの場までは、美月もいたという。しかし、やはり三足の草鞋を履くのは難しかった。彼と西岡、そして『未来戦隊タイムレンジャー』のタイムイエロー役・和泉宗兵の3人が“三茶メンバー”である。 「あいつもキッチリとした形で俳優を続けたいというのでシェイクハンドしました。バイク屋、ナンバーワンホスト、そして俳優として成功した3人は誇りだし、自分の目に狂いはなかったんだと思えます。純烈として何もいい結果を出せていなかった時期に、彼らの活躍を見て俺も頑張らなきゃ!と刺激を与えもらえました」  幻のメンバーたちも、純烈が成功する上で外すことのできぬ存在なのだろう。昨年結成40周年を迎えたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)も細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏以外に横尾忠則が演奏をしないメンバーになるというプランがあった。  結成会見に遅れたことでそれは流れたのだが、ファンの間では「もし本当に入っていたら……」という妄想は今もなされている。美月の話は、プロレスの現場にいた一人としても聞かされていなかった。  この取材後のステージを眺めた時、頭の中で美月の姿を加えてみた。確かに、なんら違和感はなかった――。 撮影/ヤナガワゴーッ!
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売
純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。
白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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