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<純烈物語>「誰と一緒にやるかより、誰にこれをやらせるか」キャスティング力の勝負<第15回>

■「誰も唄えないんだったら、あてぶりでもいい」

「ムード歌謡グループと言いつつ、僕の中には歌で勝負するグループという感覚がまるでなかったんです。だから、誰も歌えないんだったらサポートメンバーとしてボーカリストを雇ってもいいと思ったし、なんならステージ上ではメンバーが歌っているように見せて、幕の裏で本当に歌っている人がいるような形でもいっこうに構わないと思った。ギターだけぶら下げて弾いていない、あてぶりバンドのようなものですよ、ハハハハ」  ごまかすためではなく、ほかの部分で見せれば純烈として成り立つというとらえ方だった。ただ、三軒茶屋のスタジオでボイストレーニングを積み、少しずつ人前に出始めるとメンバーたちが歌うことに対し本気で向き合うようになっていった。  ジャンルこそ違えども、みな自分でやることに関してはそうした姿勢で取り組んできた者たちである。白川と小田井は俳優、後上は厳しい受験戦争の中で生き抜いてきた。  持ち味はバラバラであっても、そこに関しては一本の線でつながっていた。ヘタではあるが手は抜かない。成否のどちらにも転ぶようなバランスを保つために、酒井は純烈内で目を光らせ続ける。 「演歌やムード歌謡って“ヘタ枠”がないでしょ。演歌歌手=歌がうまいと無条件で認識される。じっさい、うまくなかったらプロの歌手としてやっていけないというのはあるんだけど、純烈はそこじゃないと思った。うまいでもなくヘタでもないカテゴリーっていうか、その空き家を最初から狙ったんです。  演歌の巨匠と言われる先生に弟子入りし、住み込みで修業を積んでだんだんうまくなっていくというのは、文化としてあるべき。だけどその一方で野村克也さんのように無名のテスト入団生から這い上がっていく土壌がこの世界にもあっていいはず。プロ野球の二軍だけどいい試合をするから観客動員が一軍よりもあるみたいな価値ですよね。現に二軍ばかりを見にいっている野球ファンもいるって聞くし」  かくして5人のメンバーを集めて酒井一圭船長が舵を取る「純烈丸」は芸能界の荒波の中、出航した。その後に関しては、巷で語られているように鳴かず飛ばずの日々。「デビューできるから」とリーダーは言ったものの、紅白を目指すという夢以外については次なる見通しを明確に語っていなかったことに気づく。  とにかく目の前に据えられた下積みに日々追われる中で、それが楽しいのか楽しくないのか、大丈夫なのかどうかさえもつかめず。酒井以外のメンバーが先行きに対し不安を覚えるのも無理はなかった。
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キャバレーで酔っぱらいから罵声を浴び続けて……
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