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<純烈物語>“いいとこのお坊っちゃん”後上翔太に課した社会のハードル<第14回>

第14回 後上翔太に課した社会のハードル。まったくの素人の“運”を買った

 白川裕二郎の声、小田井涼平の年上としての存在を確保した酒井一圭はその後、白馬の王子様的ポジションにビジュアル系ロックバンド「Blue-B」で鳴らしていた林田達也と(2016年12月31日まで在籍)、ユニークな振付を一緒にクリエイトできる戦力と見込んで友井雄亮を加える。そして“第6の男”として引っ張り込んだのが「ドラフト外の男」こと後上翔太だった。  酒井が後上に見いだしたのは歌唱力でも見た目でもなく、ズバリ“運”だった。そもそも、その名前が出た時点で声を聞いたことも会ったこともなかった。  ムード歌謡構想をスタートさせるさいにグループ名として酒井が「純情」を提案すると、デビューさせてくれた恩人へあたる人物が事務所の本棚にあった戦国武将本の中から「烈将伝」の文字を発見。それじゃあこの2つをくっつけようとなる。  「純情烈将伝」――これが純烈のプロトタイプ名である。ただ、いささか長いということで純烈に省略された。もしも当初のネーミングでいったら、今頃メンバーは戦国武将の格好をしてムード歌謡を歌っていたかもしれない。 「それでさ、あと2人メンバーを増やそうと思うんだけど……誰かいない? 条件は白馬に乗った王子様のようなやつと、芸歴ゼロで絶対なんでもやれて運のいいやつ」 「運のいいやつねえ……そうだ、俺の後輩に、車にひかれても生きているやつがいるんだけど。そういうのでいいの?」 「へぇー、それは運がいいじゃん。じゃあ、そいつを連れてきて!」  ここでその恩人から大学時代の後輩として出されたのが、後上の名だった。実質、本人の知らぬところで純烈入りは決まっていたのだ。  後日、面接の場に現れた若者はたっぷりとタンニングが施された顔をしたギャル男だった。そこで酒井は「うわー、まずいの引いちゃったなあ」などとはならず、逆に面白いと思った。 「僕は昔から、よく不良を拾っていたんですよ。なんかフラフラしているようなやつとたまたま出逢って、更生させるなんていう立派なものじゃないけど『おまえ、そんなことを続けていたらブタ箱いきだぞ』とか、人を傷つけてしまって結果的には自分を傷つけているような若者にこういう道もあるんだけどどうよ?ってやってきた。  後上はその最新作なんです。ちなみにその前がカミさん。純烈というグループの中で君を“末っ子の翔ちゃん”として人気者にしようと思っているって説明したら『ええっ、マジッスか?』みたいな受け答えで不貞腐れている。その場で『いや、そういうのはいらないから』って釘を刺して、週4回いっているという日焼けサロンをやめて髪も黒くするよう言いました。あいつとは、そういうスタートだったんです」  銀行員の父を持つ後上は、いわゆるいいとこの坊ちゃんとして育った。幼稚園からお受験で、偏差値73の秀才校である桐朋高校、そして東京理科大と絵に描いたようなエリートコースを歩きつつ「若気の至りでヤンチャをしまくっていた」(酒井)。  酒井が面接で家柄や学歴を根掘り葉掘り聞いたのは、グループ内におけるバックボーンのバランスがとれるかを確認するためだった。他のメンバーとは違う環境や文化の中で育ってきた人間の方がいいという持論があった。 「不良なのに賢いやつっているじゃないですか。なんであいつ、あんなことやってんのに勉強できるんだ?って。後上はそういうタイプだったんです。ポテンシャルが高くて家柄もいい。ボンクラなんだけど、財産を守る帝王学のもとで育っている。全員が後上家の人間だったら、なんで健康センターでやらなきゃいけないの?ってなるでしょ。  親は何やってんだ? 兄弟は? 一人っ子ということは、おまえが全部財産もらうのかと。片や工業地帯から這い上がってきた小田井さん、相撲をやっていた白川、そして典型的な中流の僕。そういう中に後上のような人間が入ることで、全方位対応できるようになる。たとえばライブでお金持ち、セレブの人が来たら僕らはテンパるけど、後上なら普通に喋れる。逆に下町のおばちゃんが来たら後上はビビっちゃうから、僕らが対応する」
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「おいおい、そんなやつを入れて大丈夫なのかよ?」
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