更新日:2019年12月30日 02:35
エンタメ

<純烈物語>「誰と一緒にやるかより、誰にこれをやらせるか」キャスティング力の勝負<第15回>

■キャバレーで酔っぱらいから罵声を浴び続けて……

 初期のライブで、目の前にいたオーディエンスの数は50人。キャバレーを回れば「つまんねえぞ!」「辛気臭い歌なんてやめろ!」といった酔っ払い客の罵声が毎日のように浴びせられる。  俳優を諦めてまで、大学中退までして俺はこんなことをやりたかったのか? 純烈なんて、もうやめたいと一度たりとも思わなかったメンバーは、酒井を含めて誰一人としていない。 「本当にその繰り返しでした。そうした中で、歌うことへのモチベーションが上がっていったようにそれぞれが続けるための光を自分なりに見つけていたっていうかな。もうやめたいと思うタイミングでファンの方や関係者から『ムード歌謡っていいじゃん!』『純烈続けた方がいいよ』という声が届くんです。それによってやめずに続けられたっていうのは絶対にあります。  あとはやめたいという雰囲気を僕が察知し、それを逆に利用したところもありましたね。たとえば白川はやめたくなったら年上の小田井さんに相談するだろう。それで先に小田井さんへ『白川が相談あるみたいだよ』って振るんです。小田井さんからもやめたい雰囲気を感じているのに。でも、白川に相談されたら小田井さんは『まあまあ、もうちょっと頑張ってみようよ』という立場にならざるを得ない。それで2人も続けようかとなる」  あの手この手を使って、酒井はメンバーの純烈に対するモチベーションを維持させていった。その根底には“戦隊俳優あるある”から脱却したいとの思いがあった。  一つのものにすべてを注ぎ込むうちに、そこへ閉塞感を覚えて気がつけば情熱が薄れ続けることに疑問を抱いたり、その場から離れたりするようになる。酒井はそんな俳優を何人も見てきた。だから純烈までそれを味わうようなことにはしたくなかった。 「いろいろな俳優、マネジャーを見てきて何が至らないのか、芸能界の中で頭打ちになっている理由がどこにあるのかを研究させてもらってその結果、ここを突き抜ければ見えるものとして頭に浮かんだのが紅白だった。だけど誰もそこに挑戦していない。しようと思っても、でもこれは無理、あれも無理と考えるうちにネガティブな気持ちになって、いろんな言い訳をして引き返しちゃう。  つまり、打首になったやつはいないんですよ。あまりにも紅白というものが光り輝く対象だからその分、影もデカくてそれに脅えてしまう。僕は逆に芸能界の重鎮、レジェンドたちがやってきたことをやれば認めてくれると思った。先人たちが貧乏時代からコツコツやって、頑張って成り上がってきたとしたら、その階段を同じように登っていったら『おまえ、よくこの時代に頑張ってきたな』と言ってくれる確信があったんです」  純烈がスタートからきらびやかなステージを望むのではなく、そこへ行き着くための通行手形としてドサまわりを選んだ理由はそこにあった。北島三郎も前川清も、デビューから大箱を用意されたわけではない。  どんなに小さな街の場末のキャバレーであっても、爺さん婆さんしか集まらない健康センターであっても、それらのすべては紅白という夢にたどり着くまでの必然であると酒井は考えた。選挙活動のように、どれほど頭を下げてどれほど握手を交わし、そして「自分の情熱をどれほど同じテンションで言い続けられるかの挑戦」――メンバー全員、敵は芸能界でもましてや世間でもなく、己自身だった。 撮影/ヤナガワゴーッ!
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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