俺の書いた漫才を満足いくくらい演じられる人間が澤部しかいない
――そこまで作家性が強くて、芸能界やバラエティ番組に興味がないのであれば、構成作家など裏方の仕事でよいのではと聞かれることもあると思います。
岩井:漫才がやりたくてこの仕事を始めたわけですけど、俺の書いた漫才を満足いくくらい演じられる人間が澤部しかいないんですよ。俺が一番面白いと思った漫才を書いたら、ほかに再現してもらえる人がいない。だから自分でやっているんです。
――そう感じたのは、いつからですか?
岩井:けっこう序盤で思っていましたけどね。そもそも養成所のときから、あんまりテレビのバラエティに興味ないな、自分が目指すところじゃないなと思っていて。漫才はすごく楽しいんですけどね。
――澤部さんがノッていく部分について、どの程度委ねているんですか?
岩井:まずは全部自分で台本を作って、持っていきます。それをまず澤部にやってもらって、澤部がやったほうがよかったパターンではそのままにしていますね。パッとやって面白いときって、それが一番面白いじゃないですか。
――そこで澤部さんのパターンが上回ってくることが多い結果、「やっぱりこいつがいいな」となるわけですね。
岩井:それはありますね。
――ノリボケを始めるまで、始めてから売れるまで3年ほどかかったと語っていますが、その前はどんなネタをやっていたのでしょうか。
岩井:最初の1年は普通の漫才をやっていたんですけど、一時期から3分ある漫才のうち、最後の1分をノリボケみたいなフレーズを羅列する感じにしたんです。漫才をやっていて、途中から羅列して乗っかって、乗っかって、最後にツッコんで、終わるみたいな感じ。でも、2008年のM-1グランプリで、1回戦の制限時間が急に2分になったんです。そこで、最後の乗っかるやつだけで2分やろうって俺が言ったんですよ。そしたら澤部は保守的だから「それは漫才だと評価されない」と言い出して。澤部は石橋を叩いて渡る人間なので、「その賭けには乗っかれない」みたいなことを言っているのを押し切って。頑なに「違う」と言っていましたよ。そういうときに澤部に乗っかると、だいたい外すので。
――M-1グランプリをきっかけに生まれたスタイルではありつつも、そのタネはずっと前からあったわけですね。
岩井:そうですね。最後だけくっつける感じにしていた2年半の間、最初の頃は作家からも「すごくいい」と言われていたんですけど。1~2年くらいやったら、「もういいんじゃないの」「違うのをやりなよ」と言い出して、それだけは一生忘れないですね。
――自分たちが慣れただけなのに、「面白いかどうか」に話がすり替わってしまっていますね。
岩井:そうです。たいがい作家の言うことは聞いてなかったですけどね。結果を出せばいいんでしょって、ずっと思っていますから。麻雀が好きなんですけど、雀士がよく言うんですよ。「負けてきたときに自分のスタイルを崩したら、負ける」と。自分が正解だと思っているなら、日和らない。僕はこれが大事だと思っています。